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2007年9月30日 (日)

『将棋名勝負の全秘話全実話』

Photo 「竜王戦」というのはちょうど私が将棋を指さなくなった時期に発足したため、観戦記もあまり読んだことがなく、(初代竜王、島朗八段がタイトル戦の最中にプールで泳いだ話は聞いたことがあったが)エピソードもよく知らなかった。その知識の空隙を埋めてくれたのがこの本である。

観戦記をはじめ将棋関連の書物といえば菅谷北斗星や倉島竹二郎などの著作が有名であり、ほかにも愛棋家であった菊池寛、藤沢桓夫、山口瞳といった作家も個性的な盤側記を残している。最近では『月下の棋士』や『天才・羽生が恐れた男 - 聖』などのマンガもあり、将棋の普及に一役買っているようだ。

これまで読んだ将棋関連の本では、少々古いが神戸新聞の記者であった中平邦彦が書いた『棋士・その世界』と山口瞳の『血涙十番勝負』を推す。前者は「将棋」よりも「棋士」に焦点を当てたもので、今でも将棋関連の文章に引用される程インパクトの強い逸話が数多く取り上げられている。取材に裏打ちされた描写による棋士の不可思議な生態が興味深い。山口瞳の著作の方は駒落ちでプロ棋士に挑んだ十番勝負の自戦記である。一敗地に塗れ続けながらも、粋を重んじる独自の美学を持つ著者が奮戦する様が哀しくも面白い。将棋に興味のある方はどちらも必読だと考える。

そしてこの『将棋名勝負の全秘話全実話』である。著者は読売新聞記者として、長年囲碁・将棋を担当された人である。したがって、本書は「十段戦」「竜王戦」という読売主催の棋戦を軸に、羽生善治との対談をはじめ、加賀敬治、大田学、小池重明といったマスメディアで取り上げられることの少ないアマ棋客のエピソードまでも取り上げる視野の広さと、大山・升田時代から羽生世代までをカバーする時間軸の長さを併せ持ち、その内容は前述の2著作と重複する部分もなく、将棋愛好家にとっては興味深い本であろう。

個人的に面白かったのは竜王戦誕生の裏話である。それまでの「十段戦」を発展解消して、棋界最高位を争う新棋戦を創設することになったものの名前が決まらない。「棋神」「巨人」「巨星」「最高峰」「日本一」「天星」「棋宝」などなど多数の候補が挙がるが、いずれも一長一短があり上層部の承認は得られそうもない。ついには、産経新聞と交渉して「棋聖戦」の名を譲ってもらったらどうかという案まで飛び出した(これには少し説明が要るだろう。当時、読売は将棋で「十段戦」を囲碁では「棋聖戦」を主催しており、一方産経は将棋の「棋聖戦」、囲碁の「十段戦」の主催紙だった。そこで、読売の「十段戦」(将棋)を産経に譲り、代わりに産経の「棋聖戦」(将棋)を譲り受けようというのである。「棋聖」というのは最高位戦にふさわしいし、囲碁・将棋ともに読売が「棋聖戦」、産経が「十段戦」となって、すっきりするという都合のいい話である)。だがそれも、産経が「愛着を持って何年も続けている」のに、それを譲ってくれというのも「失礼な話」だと打診することもなかったという。このあたりに著者の人柄がにじみ出ているようで、それは、昨年、「名人戦」の主催をめぐって紛糾した際の、人のものを欲しがる朝日の品のなさと鮮やかなコントラストをなす。

その著者の記者としての真骨頂は「陣屋事件」を追った「陣屋事件の真相を物語る升田九段の色紙の言葉」の章に現れていると思う。旅館陣屋の女将から「もともとベルなんてなかった」という証言を引き出し、さらに「私が悪者になって黙っていればいいんだ」と核心に迫る言葉を聞き出す。そして、おそらくは謝罪の意味だったのだろう、後年突然陣屋を訪れ、黙って色紙を置いて行った升田の誠実。この一節だけでもこの本を読んでよかったと思った。

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