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2007年9月25日 (火)

翻訳は呻吟の数だけうまくなる

こんなことを言うと「年寄りの小言」と取られかねないけど、やはり気になるので書いておく。

「簡単さ」を求める趨勢
私は翻訳を仕事にしている。ネットワーク上でもその関係のサイトにいくつか登録しており、BBSやメーリングリストなどで翻訳に関する質問や相談を目にすることも多く、ネット以外でも個人的に質問を受けることがある。
そうしたときに気になるのが、質問や相談の大半が「どうやったら手早く、簡単に、効率よく、翻訳ができるか」という「コツ」に関するものである点だ。たとえば英文契約書などによく出てくる、1センテンスで数百ワードもあるような長い文を「どうやったらうまく訳せるか、コツを教えてください」とか、「“disaster event”の訳を教えてください」「それと、こういう辞書にない単語を簡単に調べる方法ってないですか」といった質問である。
確かにインターネット、特にGoogleなどの検索エンジンが発達したおかげで、そうした調べ物はかなり簡単に行えるようになり、そこには効率よく調べるための「コツ」なり「テクニック」が存在する。だが、そうした「コツ」や「テクニック」が翻訳のあらゆる側面に関してあるわけではない。契約書の長く、絡み合った文はやはり丁寧に内容を理解し、ほどいてゆくしか道はないので、「ステップ1→ステップ2→ステップ3…の順にやればそれでOK」などということはあり得ない。

手間をかけることが大事
手間ひまをかけることを厭い、即座に結論を求める。少し考えて(考えるだけましと言えるが)、解答が得られないと直ぐに他人に教えてもらおうとする。これは、大半のことに「マニュアル」が存在する時代の風潮なのだろうか。テレビゲームでも、「攻略本」と称してRPGなどゲームの進め方、難しい面のクリア方法などを解説した「マニュアル」が売られている。私などは、ゲームは解く過程が楽しいのに・・・と思ってしまうが、子どもたちはできるだけ速く解答を手に入れ、なるべく速くゲームを完了したいらしい。それではたして、「解く楽しみ」や「達成感」を得られるのだろうかと危惧する。
なぜそう解答を得ることを急ぐのだろう。
それが仕事であれば、締切があることだし、のんびりもしていられないが、翻訳勉強中という人が、これが分からない、あれが分からない、と質問ばかりする。「頭というのは帽子を乗っけるだけに使うものじゃないですよ」と、皮肉めいた一言も言いたくなる。
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つの単語の解釈/訳をめぐって何日も考え、議論したといわれる杉田玄白や前野良沢など大昔のエピソードを引き合いに出すまでもなく、まずは自分の頭を使って考え、悩み、迷うことが大切なのであって、他から教えられた知識は身に付かず、ましてそうした知識を獲得する手段を会得するなどは不可能だ。自分で迷いながら目的地に辿り着いたときの道順は憶えているが、カーナビの案内で行ったルートは記憶に残らない。

翻訳は道なき道を行くが如し
さらに困るのが、答えがないことにまで答えを求めようとすることである。昨今は英語の世界でも「言葉の乱れ」は激しく、翻訳口座のテキストに出てくるような「正しい英語」だけが翻訳対象とは限らない。英語を母語としない人間が書いた英文や、他言語から機械翻訳した英文など、標準を外れた文章が大量に流布している。私の経験で言うと、ヨーロッパ系メーカーのマニュアルに「英語の乱れ」が目立つように思える。
そうした文を訳すとき、そこに「解答」はないと言える。たとえば、「The device communication with the company network.」という動詞のない文があった。これはあるヨーロッパのメーカーの資料に出てきた文で、会社名などの固有名詞を省略しただけで、ほぼ原文通りである。勿論、初めてこの文を見たときは、何を意味しているのかまったく分からなかったが、翻訳を進めていくうちに、どうやらこれは「The device communicates (または communicated) with the company network.」の意味ではないだろうかと目途が立つようになった。取引先には注を付けて納品したが、私の解釈が正しかったどうかは、とうとう分からずじまいだった。翻訳者の疑問ないし訳注にいちいち応えているほど、クライアントは暇ではない。だが、私はかなりの確度で自分の訳が正しかったと思っている。それはこれまでの経験もあるが、その文書全体を丁寧に読み、十分に理解した上でそう判断したという自信があるからである。また、クライアントからクレームが付かなかったことも、正しかったと判断する理由の一つである。

翻訳者は最高の読者たるべし
これはよく言われていることだが、翻訳に携わる者は対象となる文の最高の読者であろうと心がけるべきである。手前味噌になるが、日英翻訳で原文の日本語がよく分からず、やむなく「ここの部分はこういう解釈で訳しました」と断りを付けて訳すことがある。そうしたとき(ごく稀にであるが)クライアントから「あの文章の真意をよく表現している」との言葉をもらうことがある。
ではそこに「コツ」はあるか。強いて言えば「よく読み、十分理解すること」ということだが、そんなものは「コツ」でもなんでもない。「心構え」である。原文が理解できるまで、理解できたと思えるまで、原文を読み込む。時には数ページ前に戻り、時には数ページ先まで確認し、1つの単語、1つのセンテンスを、筆者が意図したところを汲みつくすまで読むという姿勢である。

日本語の勉強が必須
この頃ではだいぶ少なくなったが、以前は「私は英語が好きなので、翻訳をやってみたい」とか「中学校までアメリカにいて、英語はアメリカ人と同レベルなので、翻訳でもやってみようかと思ってます」といった動機(?)で、翻訳者になりたいという人の相談を受けたことがある。
私はどんな動機や理由であれ、翻訳志望者には、「文章を書くことが好きですか?」「朝から晩まで、日本語文を書き続けることができますか?」と尋ねることにしている。また「日本語の辞書は何冊持っていますか」という質問をすることもある。ほとんどの人は「英語じゃなくて日本語の辞書ですか?」と怪訝な表情をするが、「翻訳」といった場合、現在の日本ではその9割前後は「英日翻訳」である。翻訳を職業にするということは、とりもなおさず、自分が書いた訳文(日本語の文章)を売ることにほかならない。
それを、「この回路が通信装置に、ネットワークとの接続を提供する」というような文章を書いて平然としているようでは、翻訳で飯を食うなどおこがましいと言える(おそらく原文は「This circuit provides the communication device with connection to the network.」といったところだろう。これもヨーロッパ系の英文マニュアルに見られる表現で、米国系だと「This circuit connects the communication device to the network.」など、もっと簡潔な言い方になる)。「接続を提供する」が日本語として変だと感じる言語感覚が必要なので、それはネット上に氾濫している奇妙な日本語ではなく、時間をかけて丁寧に書かれた書籍や定評のある雑誌を大量に読み、また真似することによって身に付けるしかない。
それを、自分の日本語は正しいんだとばかりに独善的な文章を書いたり、原文を理解し、いったん咀嚼した上で日本語によって表現するという手間をかけることを避けて、英語を単語の意味レベルで解釈し、日本語に引き写してしまったりする。で、それが翻訳だと思っている。それでは間違った日本語のたれ流しと変わらない。
つい先頃、(「がんじがらめ」を「がんがらじめ」と言うなど)奇怪な日本語を集めた『言いまつがい』という本が話題になったが、あの本に集められた表現のうち何パーセントかは英日翻訳文が発生源ではないかと秘かに思っている。

教えを乞うのは最後の手段
他人に教えを乞うのは、調べに調べ、考えに考えて、それでも分からず、分からないままではクライアントに迷惑がかかると判断された場合に限るべきだろう。
私もMLBBSなどで質問をしたことはある。だが、自分が調べに調べ、考えに考えても分からなかったことというのは、他人も分からない/知らない場合がほとんどである。「解答のないケース」に該当することも少なくない。またそれだけの過程を経た後であれば、「分からない/知らない」ということをクライアントに伝えるのに引け目を感じることもない。

よりよい仕事をする、優れた結果を残そうとするのであれば、他人と同じことをしていてはだめだ。独自のやり方を見い出すべきで、その独自のやり方そのものも、それを見い出す方法も他人から教えてもらうことや他人に教えることはできない。初歩的な翻訳テクニックを除けば、変幻自在な言葉を相手にする翻訳に万能の方程式などというものはないので、具体的な文章を前にしてその都度、方法から創り出していくそれぐらいの気構えが必要だ。文章は(そして翻訳も)呻吟の数だけうまくなる。

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