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2008年7月 7日 (月)

TRADOSを使う理由

翻訳にTRADOSを使っている。その理由は…。

1. ソースクライアントからの指定
これはIT系企業に多く、特にローカライゼーションではTRADOS使用が必須条件となる。その他の業種としては(私が受けている仕事の範囲では)自動車・オートバイ業界でTRADOS使用を指定される場合が多い。

2. 翻訳会社からの指定・要望
特にソースクライアントからはTRADOSを使用することを指示されていない場合でも、間に入る翻訳会社が指定してくることがある。これは、過去の翻訳テキストとの用語・表現の統一を図る場合、また翻訳会社がクライアントからはノーマルレートで受けた翻訳業務を差分翻訳とすることで利ざやを稼ぐために行う場合などがある。

3. 自分自身で使用する場合
クライアントや翻訳会社から指定・要望がなくとも、私はほとんどの翻訳作業でTRADOSを使用している。その場合使用するのはTranslator’s Workbench(TW)で、理由は次の通り。

3.1 訳抜け防止
フリーランスになって19年目になるが、致命的な誤訳を犯したことはない。が、ある翻訳会社のコーディネーターの方に言われたのが、「Jackさんの翻訳に問題があるとすれば、それは訳抜けですね」。

生来の粗忽者で、手拍子で物事を進め、肝心なところは抜かさないが、枝葉末節が抜けることがあり、それが翻訳にも顔を出す。その“訳抜け癖”を救ってくれたのがTWだった。

TWではセンテンス単位で翻訳作業を進めてゆく。センテンス単位であるため、見直す際に一目で文章全体を見ることができ、また、同じ画面の上下に隣接した位置に原文と訳文が並べて表示されるため、原文⇔訳文の相互比較がやりやすい。

TW導入以前は、専用の原稿台をPCモニターの脇に置き、それに紙の原稿を乗せ、スライダーを動かして翻訳箇所を確認しながら作業を行っていた。その場合、視線を大きく(左右に30~40cmほど)動かさねばならず、それが訳抜けの原因の一つだった。 TWではこの視線の移動距離が短くて済む。これが訳抜け防止に効果的である。

センテンスの翻訳が終了すると、その全体の意味、関係する数字の正誤、単語単位の抜けなどを確認するが、もう一つ、文章の長さも重要な指標になる。一般に、英語(原文)に対し日本語(訳文)の方が若干短くなる。なので、原文(英語)が3行で訳文(日本語)が4行の場合は、訳文(日本語)の構成や語彙、表現が適切かどうかを確認する。原文(英語)に比して訳文(日本語)が極端に短い場合は訳抜けを疑うことになる。

3.2 用語・スタイルの統一
長大なレポートや書籍の翻訳など、1件で相当の日数を必要とするケースがある。私の場合、その間も他の仕事を受けることがある。大きな仕事は無理だが、小さなものや、私を指名しての依頼といったようなものであれば、間に入れて対応する。そうするとどうしても、長大レポート・書籍の翻訳のことをいったんは忘れなければならない。問題はその翻訳を再開するときである。そこで役立つのがTWである。ことに訳語や(中点や末尾の音引きを使用するかといった)スタイルの確認が容易にできる。

TWは毎年1回だけ依頼されるといった翻訳でも大いに有効である。企業の年次報告書やマーケティング・レポート、会社案内、商品カタログなど、表現や語彙、スタイルの統一が必要な、しかも1年ないし数年に1回しか依頼されないテキストでは、TWに専用メモリーを設定しておくことで、グロッサリーやスタイルガイドの役目を持たせることができる。

3.3 見直しに便利
翻訳には見直しが欠かせない。私の場合、センテンスの翻訳が終了するごとにチェックを行う。分量が多く、数日~数週間を要するものであれば、毎日翻訳を再開する際に、既訳箇所を最初から読み直す。また、翻訳が完了した後は原文(英語)と訳文(日本語)を照合しながらの確認、訳文だけの確認というように、数回の見直しを行っている。このうち、最後に行う訳文だけの確認を除き、原文(英語)と訳文(日本語)を並べて表示できるTWは便利である。

4. 「TRADOS(TW)を使うと訳文全体の流れが途切れる」という人がいる。これが私には理解できない。数日前に行った翻訳文を思い出せと言われれば、印象的な部分以外は思い出せないだろうが、その日、集中して訳してきた文であれば全体の流れ(文脈)は頭に入っている。私はTWを使ったからといって文が細切れになることはないと思っている。

ただし、私もTRADOSが好きかと問われれば、「あまり好きではない」と答える。とはいえ、これまでにもいくつか他の翻訳支援ソフトを試してきたが、どれもTWもどきの感があり、それなら本家の方がいいだろうとなってしまう。

また、TRADOSと並存させると問題を起こすアプリケーションもあり、現時点では、ソースクライアントからの指定がくることもあってTRADOSを外すことはできないため、他の翻訳支援ソフトを外し、TRADOSを残す結果になっているというのが実状である。

ローカライゼーションは数社からの依頼を受けてきたが、「将来の翻訳メモリーの再使用を考えた翻訳をせよ」という指示を受けたことはない。この点については、baldhatterさんのブログBuckeyeさんのブログを読み、そんなこともあるんだと驚いた次第。自分がそういう指示を受けたら…。そういうクライアントの仕事は避けてゆくようになるという気がする。

5. 月並みな言い方だが、TRADOSも所詮は“道具”である。何とかと鋏は使いようと言うが、道具を有効に活用するのも、それに振り回されてしまうのも、要は使う人間の問題だという気がする。さらには、自分の性格や受ける仕事の内容、期日など、総合的に判断して“使わない”という選択肢も当然あり得る。 私の場合は、粗忽さを補ってくれる(現在のところでは他の機能も勘案して)“他よりはベター”な(ベストとは言いたくない)道具であると考えている。

【追記08.7.14】
ある人から質問を受けた(希望によりコメントの公開は控えさせていただく)。上記3.1~3.3のメリットは自分にも理解できるので、そのためだけでもTRADOSを購入しようかと考えているが、アドバイスがあったら聞かせてほしいといった趣旨だった。

私のアドバイスは「(まだ)買わない方がいい」である。上記3.1~3.3を目的とするなら、ほかにもっと適切な製品があると思う(私には具体的な知識がないが)。1や2の理由で購入するべき状態にあるのならいざ知らず、1、2の理由なしで3.1~3.3だけでTRADOSを購入するのは考え直した方がよいと思う。

SDLジャパンのサイトで調べたところ、現行のSDL TRADOS 2007 FREELANCEは(なにか特別キャンペーン中らしく)5% OFFの現時点で\121,600もする(参照)。で、上記の目的で使うのはそのうちの“Translator's Workbench”というモジュールだけで、ほかは宝の持ち腐れになりかねない。

私がTRADOSを使用している背景には、現在そのTranslator's Workbenchとほぼ同じかそれ以上に使用を指定される“TagEditor”というモジュールがあり、そちらでの仕事受注というのも大きな理由としてある。ただ、TagEditorのことまで書くと話しが長くなるため、上記文では割愛した次第。

繰返しになるが、クライアント(翻訳会社)から「TRADOS使用」を条件付けられているのであれば購入も考えるべきだろうし、またローカライゼーションの仕事を目指しているのであれば、先行投資として購入するのもよいだろう。が、そうでないのであれば慌てて購入する必要はない。

また良心的な翻訳会社であれば、TRADOSを持っていない翻訳者にTRADOS使用が必須の仕事を頼む際には、一時的に手持ちのコーポレートバージョンを使わせてくれることもある。さらに、以前は使用できる機能に制約のあるデモ版というのがあった。今回SDLジャパンのサイトで確認できなかったが、もし今でもデモ版があるならそれを使ってみた上で購入の是非を決めても良いと思う。

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コメント

Trados を使う理由、使わねばならない理由、使いたくない理由...は状況によって本当にいろいろです。
私が任意で Trados を使うときの理由も Jack さんと近いのですが、最大の理由は

> 3.3 見直しに便利

これかもしれません。

Trados を使わない上書き翻訳をしていて、英-和対応で用語を確かめようとすると、Trados の便利さを痛感します。

投稿: baldhatter | 2008年7月11日 (金) 09時40分

アプリケーションには、それを使う人間との「相性」がありますね。「相性」と「能力(機能)」が一致すればいいんですけど、私にとってTRADOSは「有能だけど、扱いにくい部下」のようなもの。プライベートで飲みに行くなんてことはありえません。

投稿: Jack | 2008年7月11日 (金) 14時45分

baldhatterさん、

>英-和対応で用語を確かめようとする

そういうことってけっこう、あります? 私はとても少ないというか、たぶん、ほとんどないって言っていいレベルでしかないんですが。

投稿: Buckeye | 2008年7月14日 (月) 08時50分

頻繁にあるかというと不確かですが。
たとえば訳語を 100% 確実に固定できない --- Web などでも日本語化された例がまったくなく、自分ではじめて訳語を当てているような場合--- まま翻訳を進めていて、かなり進んだところで(ときには別のドキュメントに移ってから)前より適切な訳語を思いついたときなどは、訳語でなく原語で検索できた方が確実なのです。

あるいは、人の訳文をチェックするときに多い探し方かもしれません。ひどいときは訳語が何通りにもぶれていたりするので、原語で探さないと漏れが出る恐れがあるもので。

投稿: baldhatter | 2008年7月14日 (月) 17時24分

他人の訳文をチェックするときはそうでしょうね。(そういう話、私は断ってますが)

自分の訳の場合、私は、用語集を検索すれば用語のみの対訳状態で出てきますから、そっちでチェックすることになります。統一的な訳語をあてると、自動的に用語集ができるようにしているので。で、用語集を書き換えるのと一緒にドキュメント側の訳語も置換してしまえば基本的にOKとなります。

投稿: Buckeye | 2008年7月14日 (月) 20時07分

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