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2009年1月 8日 (木)

将棋竜王戦をふり返る:テレビ『情熱大陸』から

昨年(08年)暮れの12月28日に、TBS系で『情熱大陸extra 棋士』と題して、第21期将棋竜王戦七番勝負を題材としたドキュメンタリーが放送された。

渡辺明竜王と羽生善治名人という、棋界の二大タイトル保持者同士の対戦ということや、いずれが勝っても初代永世竜王に就くことになり、また羽生が勝てば史上初、将棋七大タイトルのすべてで永世位を獲得することになるという、将棋界のみならず一般の人たちの関心をも集めた勝負だった。

その番組を観ながら、2ヶ月に及んだ渡辺と羽生の戦いを思い出し、また七番勝負の間に棋士がどれほど苦しみ、惧れ、悩みつつ、盤上の戦いと己との戦いという2つの戦いを戦わねばならないかを痛感した。

ご存知のように今回の七番勝負は羽生3連勝後、渡辺が4連勝し、竜王位を防衛するという劇的な幕切れを迎えたわけだが、それを“劇的”といい、“奇跡的”と呼ぶのは周囲の者たちの、ある種無責任な立場からの発言であり、当人たちにとっては、恐れや不安と戦いつつ一局一局に集中することを心がけた結果であって、竜王戦であるということで勝負の重みや集中度の違いといったことは感じるにしても、“劇的”というのとは感覚的に異なるものであるに違いない。

言ってみれば、険しい山道を登るように、足元に注意して一歩ずつ歩を進めて行ったら突然視界が開け、頂上に到着していたというようなものだろうか。無論、足元に集中しながらも、“頂上を目指す”という目標は忘れてはいないので、また道中がどんなに厳しくとも目的地まで行くのだという意志が揺らいではならない。

七番勝負の出だし、渡辺はその“集中”に失敗したと思う。渡辺にとって、これほど世間の注目を集める対戦は未曾有のことであり、その初めての甚大な喧騒や有形無形のプレッシャーのため、知らず知らずの内に彼本来の将棋を見失っていたようなところがある。

2連敗後の第3局、先手番ということもあり渡辺は積極的だった。ところが第1局と同じように羽生の構想力・大局観の前に敗れ去る。終局後、関係者との会食を抜け、渡辺は一人で新幹線に乗り東京に帰った。テレビカメラはプラットフォームで列車を待つ渡辺の姿をとらえ、インタビューを試みる。さすがの渡辺も表情が固い。それでも質問に答えていたのは立派だった。

番組全体を通じて明らかになったのは、こと取材に関する限り渡辺はきわめて積極的且つ協力的であるということ。対局後には自室にテレビカメラが入ることさえ認め、インタビューに応じた。おそらく現在の将棋界で、ここまでカメラが近づくのを許す棋士はほかにいないだろう。

第3局にも敗れ3連敗となって第4局を迎えたとき、渡辺は明らかに自信を失っていた。そこで渡辺は思い切って将棋を指そうと腹を括った。追い詰められ、開き直った末の結論だったが、その時初めて渡辺は将棋への集中を得た。

目標を立てたらその目標をいったん忘れ、過程に集中するというのは禅が教える道だが、渡辺は“開き直る”ことで、その過程への集中に成功したのである。開き直りは自信喪失の裏返しで、諦めと紙一重ではあるが、渡辺は諦めに偏ることなく、ポジティブな意味での開き直りを得たのであり、あの時点では心理的に、戦略的に渡辺に残された唯一の選択肢だっただろう。

それでも羽生は強かった。渡辺に対して必勝に近い形を作り、あと数手で投了するまでに追い込んだ。だが122手目△3七成桂に対する応手に羽生がわずかだが時間をかけたことで、渡辺は自分に残された唯一の勝ち筋を見出す。1分将棋の秒読みの中で、8手後に打ち歩詰めが現出する手順を発見したのである。カメラは、渡辺が打ち歩詰めの手順に気づいたのだろうと思われる瞬間を映し取っていた。羽生がペットボトルの水を飲む間に渡辺がほんの少しだけ顎を前に突き出した瞬間である。

羽生が123手目▲3七同桂と指し、△3七同玉▲4五飛と進んだとき、渡辺は力を込めて8九に飛車を打った。後手玉を詰まさなければ、こっちから詰ましに行くぞという手である。ここで羽生が間違えた。本譜▲3八金ではなく(後に研究で分かったことだが)▲4七飛とするべきで、これなら千日手模様ではあるが、打ち歩詰めとなった本譜の順よりは優っていた。

こうして本人すら「なんで勝ったのか分からない」という将棋を勝ったことで渡辺は復活した。第5局、第6局は渡辺の快勝だった。その第6局、終了したのが早かったため、羽生は打上げ後、第3局の時の渡辺同様、対局場を後にして新幹線で帰宅の途についた。ところがその後、勝った方の渡辺も東京に帰ったのである。終局後、時間に余裕があるならその日の内に帰るというこの二人の行動は、(今さら羽生を“新世代”と呼ぶのもどうかと思うが)私などから見ると新しい行動規範を持った新しい世代の棋士らしいと思うところである。

ところで羽生の方だが、この第4局辺りで体調が下降気味になったという気がしてならない。第4局から最終局までは毎週対局が行われたため、体調を戻す余裕がなかったのではないか。やはりそこには“年齢”の影が見え隠れするような気がする。羽生は現在38歳で、スポーツの世界では偉大な選手でもこの年齢の前後に現役を退く例が多い。将棋はスポーツとは違うとはいえ、体力の衰えは勝敗に少なからず影響する。ファンとしては厳しくも悲しいことではあるが、羽生がそういう年齢に差しかかっているという事実は認めなければならない。

その羽生と渡辺は14歳違い―羽生が初めて名人位に就いた時、渡辺はまだ小学生だった。今回の『情熱大陸』ではその渡辺が大切にしているという写真が紹介された。下がその写真で、渡辺が小学3年生の時参加した将棋イベントで、お小遣いから料金を払って撮ってもらったものだそうだ。羽生はこの翌年名人になっているが、この写真を見れば、“14歳”という差が一目瞭然で分かる。この写真を取り上げたことは番組最大の功績の一つに挙げてもよいだろう。

Photo 

 

 

昨年(2008年)は、羽生善治が第19世名人に、渡辺明が初代永世竜王になり、2つの永世位が誕生した。また、将棋ファンが長年待ち望んだ羽生対渡辺の対決がこれ以上はないという舞台で実現した。その意味で、将棋界としては充実した1年だった。

翻って、今年はどんな年になるか…。羽生は初代永世竜王位を逃したとはいえ、現在名人以下4冠を保持し、永世7冠に王手をかけている状態に変わりはない。竜王戦後十分な休養を取った羽生は間もなく(09年)1月17日から第58期王将戦七番勝負で深浦康市王位の挑戦を受ける。7つのタイトルを4人が分け合っている状況ではあるが、今年も棋界の中心が羽生であることは疑いない。

一方、竜王を5期連続して防衛した渡辺だが、少なくともあと1冠、望むらくはあと2冠を取らなければ、羽生と覇を争うところまで到達したとは言えまい。今後は順位戦をはじめ、他の棋戦での活躍を大いに期待したい。

また、長い間達成されなかった公式タイトル七番勝負での3連敗後4連勝だが、渡辺が70年という堅塁を突破したことで、棋士たちの心理的バリヤーは解消されたに違いない。次の3連敗後4連勝は70年も待たずに実現するはずだ。

最後にテレビ番組『情熱大陸extra 棋士』について一言。膨大な取材ビデオから、わずか1時間足らずの番組に仕立て上げるのは大変な難作業だったと思う。私のような将棋ファンから見ると不満の残る部分も多々あるが、ナレーションや構成から判断するに、“将棋をよく知らない”一般の人たちを想定視聴者とした編集方針であったようで、その点から判断すると、あまり過剰な演出もせず、妥当な内容だったと言える。

番組の終りに、敗者である羽生に「なぜ渡辺は勝ったのか」という偉大な愚問を敢えてぶつけ苦笑いをさせ、その笑いが消えた直後の羽生の厳しい表情を一瞬見せたところに、この番組の担当者が将棋を、勝負をよく知っている人たちであることがうかがえる。あの表情は、羽生を中心とした将棋の覇をめぐる戦いの厳しさを予見させる、将棋ファンへのプレゼントだったのだろう。

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コメント

情熱大陸のビデオ録画を昨夜、見ました。やはり、第4局で流れが変わったのでしょう。
内容を読んでから見ていましたので顔の表情と目の動きを何度も確認しました。
羽生名人の目には精気がなかったような気がします。やはり、疲労の蓄積でしょうか。
今年1年、隠れ羽生ファンとして応援します。
学生時代の将棋仲間から年賀状が届き、渡辺竜王は、神から選ばれた男であり、感動したと書いてありましたが、これで一人、将棋の世界に戻しております。2年くらいかかりました。
今回、羽生名人を応援していたことは、伝えておりません。

投稿: 将馬 | 2009年1月10日 (土) 09時34分

将馬さん

>今年1年、隠れ羽生ファンとして応援します。

せっかくですから「カミングアウト」しましょうよ^^
羽生さんは次の土曜日から、「天敵」深浦王位と王将戦を
戦うわけで、ファンとしては難敵だけに応援のしがいも
あると言うものです。

投稿: Jack | 2009年1月11日 (日) 13時39分

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昨日、本屋に行ったらつい目にとまって見てしまいました将棋関連本。結局立ち読みで... [続きを読む]

受信: 2009年1月 8日 (木) 18時16分

» 情熱大陸・その2 [即席の足跡《CURIO DAYS》]
昨年末、あの大興奮した竜王戦七番勝負を取り上げた、TBSの番組、『情熱大陸』について、僕の率直な感想を記事にしました。 それについて、いろいろコメント頂きましたので、改めてご紹介しつつ、参考にしつつ、また思うところを書いてみたいと思います。 {/star/}けいすけさん、はじめまして。 >良し悪しは別として、わざわざ薄っぺらな内容にしたんだろうなあ、と思いました。視聴者のなかには、「プロの将棋指し」が世の中に存在することすら知らない人もいるはず。そういう人も含めた幅広い層の感心を集めるため... [続きを読む]

受信: 2009年1月10日 (土) 12時45分

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