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2011年3月

2011年3月14日 (月)

休載します

いつも『Shogiブレイクムーブ01』をお読みいただきましてありがとうございます。

この度は諸々の事情により休載させていただきます。1週間から10日間ほどを目途に再開したいと考えています。ご了承くださいませ。

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2011年3月 6日 (日)

Shogiブレイクムーブ01 【87】

87.

テーブルの上に母が書いたメモがあった。

今日からお父さんは出張でいません。帰りは明後日です。

お母さんは研修会があるので今日は夜遅くなります。

冷蔵庫にシチューと煮魚があるのでそれをあたためて

食べてください。

プロ棋士になって2か月余り、健志の日常は高校に通いながら奨励会で将棋を指していた頃とは大きく変わっていた。起きるのは午前10時前後―当然両親は仕事に出かけて行った後だ。母が用意してくれた料理を食べ、プロになってから取るようになった4つの新聞の将棋欄に目を通している内に午前が過ぎる。午後はパソコンで最近行われた対局を調べ、(今ではCASSAが引き継いでいる)チャプター6にアクセスしてCA学習システムを使い6、7時間、多い時は10時間以上将棋のトレーニングをする。

勿論対局がある日はこれとはまったく違う1日になるが、健志がCASSA代表として全将連との対抗戦に出場することが決まってからは、全将連理事会の判断で全将連棋士との対戦を当面差し控えることになった。なのでもう1か月近く対局していない。

その決定を健志は米原会長から直接聞かされた。その時の会長の言葉には、全将連の棋士たちの誰もがたとえわずかではあっても持っているだろう困惑が如実に表れていた。

「全将連の棋士が別団体の代表として全将連所属棋士と戦うなんてことは初めてのことなので我々にも何が正着なのか分からんのだよ。ここは一つ、決定をそのまま受け入れてくれんか。そうしてもらえば今度の対抗戦を純粋に将棋の大会として開催し、成功させることができる。また君の身分については、対抗戦の後、総会に諮って決めることになるだろうが、理事会は擁護に回るつもりだ」

その言葉に健志は一言、「おまかせします」と答えた。

ケトルが「ピー」という音を発して、お湯が沸いた。インスタント・コーヒーをいれる。

テーブルには大きなスクラップブックが置かれている。そんなの要らないよと健志は断ったのだが、CASSAと全将連との対抗戦が発表になってから、新聞や雑誌に掲載された関連記事を父が切り抜いて作ってくれたものだった。

小学生の時に社会科の授業で作ったことがあったな。その頃使ったのと同じような薄茶色のスクラップブックを開いてみる。

最初は「ITTカップ将棋対抗戦」の開催を告知する東日新聞の切り抜きだ。新聞のほぼ1面を使ったその大きな記事の右側には、全将連が用意した「公式写真」なのだろう、いずれもあらたまった表情の羽田名人、渡部龍王、久保田棋帝の写真が並び、左側には大きく笑うハルと、無表情の庄村陣基、そして初めてスーツを着て撮った健志の緊張した顔写真がある。

健志の棋士としての資格が一時的に停止されたことに関する小さな記事もスクラップブックにはきちんと貼られている。父はこの記事をどんな思いで切り抜き、ここに貼ったんだろう。両親は将棋のことに関しては干渉せず、健志の意志を最大限尊重してくれる。おそらく父と母の間で何らかの合意があるのだろう、健志が奨励会に入ることを許してくれた時からそれは一貫している。

次のページは将棋の専門雑誌からの切り抜きで、全将連の米原会長とCASSAの広花ナツキ代表の両方に相談して一度だけ受けた健志のインタビューだった。その最後に、「なぜ、あなたはこの棋戦に出場することを決心したのですか?」という質問があり、それに健志は「将棋に関して人間がどこまでの高さまで昇れるのかそれを知りたいし、また自分自身、少しでもその限界に近付きたいからです」と答えている。

でも本当はどうなんだろう。雑誌記事の活字を眺めながら、健志はいまだに自分がプロ棋士の資格を失う危険を冒してまでこの大会に参加することを決めた理由が分からないでいた。ただこうも考えていた。将棋指しである以上、強い相手と戦えるのなら、どんな犠牲を払ってでもそのチャンスを逃すべきではない。

それにもう決めてしまったことだ。今さら自分を納得させるために理由をひねり出したところで何の意味があるっていうんだ。ボクは名人や龍王と戦いたい―それで十分だろう。

コーヒーカップを持って2階の自室に戻り、パソコンの前に坐る。局面は古風な香りのする居飛車対向い飛車の戦いになっていた。

同一手順の棋譜は確認できる範囲では全て昭和の時代のものばかりである。最も新しいもので昭和55年というから30年以上前の対局だ。

ネット中継の記事もその点を取り上げていた。

果たして庄村選手はそんな古い将棋も記憶しているのだろうか。一説によると、庄村選手が記憶している将棋は4万5000から5万局ではないかという。単純計算で約25年分である。だとするとこの将棋は彼の脳内データベースにはないのではないか。

ただし16番の強さはその驚異的な記憶力だけにあるのではない。健志自身、3回ほど戦って陣基の将棋に独特のリズムがあることを看取していた。どのような局面になっても変わることのない落ち着きのある指し手で、決してあわてることがない。たとえて言えば、こちらが苦労し必死でつないだ攻め手順にも、「やあ、よくそこに気付いたね」とあたかもずっと以前に察知していたような老獪にも思える指しまわしだ。とても13、4歳の少年とは思えない。

サヴァンに関してはほとんど何も知らない健志だったが、彼らがある意味で年齢という軛から解放された存在だと高畑から聞いた時、それが陣基との対戦で感じ取ったことと如何にもぴったりと符合したのを鮮明に覚えている。

健志は画像ストリーミングのサイトを別ウィンドウで開いてみた。今回の第1局は完全無料公開ということで、棋譜や局面のリアルタイム中継のほかに、大ホールで開催している全将連所属のトップ棋士による大盤解説会を動画配信している。

画面には須藤光康九段という羽田名人と同世代の棋士が映し出された。相手は若手棋士の戸田七段である。

「…でも、研究熱心な久保田さんですから、ひょっとしたら知ってるのかもしれませんよ、こういう将棋を。前にボクが対戦した時に、感想戦で150年くらい前の将棋の話を始めたことがあったんですよ。驚きましたね、あんときは。観戦記担当の新聞社の人も早速そのことを取材ノートに書き込んでましたから、新聞にも載ったんじゃないでしょうか」

「え、じゃあ須藤先生はその将棋の観戦記事を読んでないんですか」

「ええ読んでませんよ。フツー読まないでしょ、自分の将棋の観戦記は」

「いやフツーは読みますよ」

「あ、そうですか」

「ボクらは読みますよ。…あー、そうか。須藤先生みたいに年がら年中、大きなタイトル戦を戦ってると、自分に関する記事といえども全部に目を通してらんないですね」

「そんなんじゃなくて、その新聞を取ってなかったから読まなかっただけで…」

「えー!!!」

戸田七段と一緒に観客も驚きの声を上げた後、大きな笑い声と拍手が聞こえてきた。どうやら会場にはかなりの人数が詰めかけているようだ。

「カチッ」

その時、駒音が聞こえてきた。即座に棋譜画面に切り替えると、陣基が3筋から戦端を開いたところだった。少し早すぎないだろうか。自分が対局した時のことを思い出しながら、健志は陣基の指し手が彼本来のリズムとは少し違うような気がした。

彼もあがったり、緊張したりすることがあるのだろうか。だけどこれも高畑から教えてもらったことだが、庄村陣基に関しては特別措置として対戦相手を知らせずに対局を行うことで全将連とCASSAが合意したと聞いていた。

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