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2011年4月

2011年4月25日 (月)

Shogiブレイクムーブ01 【88】

88.

「相手が誰かが分からずに将棋を指すのは不安ではないだろうか」最初そう思った健志だったが、その自分の疑問を即座に否定した。「ボクらだって、ネットで将棋を指す時は相手が誰かなんてまったく分からないじゃないか」。パソコンを使ってしか対局したことがないという陣基だ、案外相手が誰かなど気にしたことすらないのかもしれない。

久保田もあまり時間をかけずに応戦の手を指す。

将棋は通常、総手数120手前後で決着する。その内、最初の30~50手ぐらいは定跡など、過去の情報や経験に基づいて攻めと守りの両方を意識した布陣を整える段階で、「序盤」と呼ばれる。今手数は20手を超えたところである。

その序盤の段階で戦いが始まる場合を「急戦」というが、急戦では定跡や過去の将棋は参考にならなくなる。その時々の状況に応じて、一手一手を自分で考え出すことを強いられる。そこから「手将棋」などとも呼ばれる。攻撃的な棋風で知られる久保田にとって、早い段階で戦いが始まることは望むところだった。陣基が相手を知らずに指していることが今は不利に働いているのではないか。

だが陣基の指し手にも迷いは見られない。怯むことなく前進を続ける。あちらこちらで双方の駒がぶつかり、時に取られ、時に取り返す。戦線が次第に広がって行き、両者まったく引く気配を見せず、激しく斬り結び、鍔を迫り合い、打ち込み合う。その激しさに、棋譜を追って盤面で将棋を再現しているだけの健志も、まるで当事者であるかのように背中で汗をかいていた。

テンポよく進んできた両者だが徐々に指し手の間隔が長くなってきた。急戦になったことから、短い手数で勝敗が決する可能性もあったが、久保田も陣基も決め手を見つけられず、次第に戦いが膠着してきた。

さきほどネット観戦者の数が500万を突破した。過去に累計で達成したことはあったが、ユニークアクセスではネット将棋始まって以来の快挙である。

オンラインの棋譜配信で、この将棋が大きな注目を集めていることが具体的数字で説明される。

……対戦する者の実力が高いレベルで拮抗していること。たとえば年齢や身体の大きさ、生い立ち、社会的地位などその属性が両者間で大きく異なっていることなども、勝敗に対する関心を高める要因となる。

その意味で、この二人は、実力についてはこれから—この対局で確認されることになるわけだが、共通しているのは将棋が強いということと男であるという点ぐらいで相違ばかりが目につく組合せである。

誰がこの二人を初戦でぶつけることを思い付いたのかは分からないが、相当なアイデアマンだといえるだろう。

今二人が争っているのは、直接的には数手後に現れる可能性のある局面をめぐっての攻防だった。直前に陣基が指した手は、端的に自分に有利となる局面を目指した手だった。それに対して久保田の側には主に2つの選択肢がある。ひとつは陣基の狙いを直截に阻止するもので、それは同時に久保田自身に有利となる別の局面へ向かう可能性も消してしまう。もうひとつは、直ちに相手の狙いを打ち消すものではないが、また自分有利の局面へ行く道筋も温存しようという手だ。

次回からは使用される予定のWebカメラが今回は庄村選手側からの反対で設置されなかったため両者の表情が分からないのが残念だが、おそらく二人は今、全神経を盤面にそそいでいるだろう。

後日高畑から聞いた話では、その手を指された瞬間、それまで前かがみに将棋パッドを見つめていた陣基の上体が真っすぐに起き上がったという。

久保田は予想になかった手を指した。△7五歩―それは一見した限りではとても成立するとは思えない攻撃の手だった。むろん、いずれそこから反撃するという可能性は充分に考えられたところだが、今の段階では少々無理ではないか……即座には理解できない手だった。

久保田の指した手の意味は……。直接的には飛車の成り込みを目指しているように見える。だが、それでは攻め合う形になり、陣基の攻撃の方がわずかだが速く、久保田は勝てないだろう。健志は自分の意識が局面と一体となって行くのを感じた。読もうと思わずとも指し手が先へ先へと進んで行く。数え切れないほど多くの局面が次々に脳裏に現れ、その形勢を瞬時に判断して行く。それでも考えるべき手順、局面は膨大で、考えても考えても、これだという答えは見つからない。健志は長考に沈んで行った。

おそらく久保田の指し手を見たプロ棋士のほとんどが同じようにその意図を解明しようと真剣に読みを入れただろう。全日本将棋連盟会長米原邦夫もその一人だった。

米原は会長室で一人パソコンを眺めていた。それまでは本腰を入れて局面を読むということはしていなかったが、久保田の手を見た途端、キャビネットから将棋盤と駒を引っ張り出して来て、局面の再現を開始した。手順通りに駒を並べて行き、最後に△7六歩と指した途端、米原の頭のどこかで何かが―「閃き」とまでは呼べないが、通常の思考とは明らかに違う、小さくも激しい心の動きがあった。

机の前に戻りキーボードを操作して、全将連のデータベースに入る。そこには過去50年分のプロ棋士による戦いの記録(棋譜)がすべて保存されている。[局面照合]というボタンをクリックすると将棋盤が表示される。そこにドラッグ&ドロップで駒を一つずつ配置して、現在の局面を作って行く。その操作が終わると、少し離れたテーブルの上に置いた将棋盤を見つめ、パソコン上の局面とを見比べて間違いがないことを確認し、[検索]ボタンをクリックする。答えは即座に出た。

「該当なし」

テーブルのところまで戻って、再度局面を確認する。持ち駒にも間違いはない。米原は勢いよくドアを開けて廊下に出ると、エレベーターには目もくれず階段を駆け下りて行った。

*一部加筆変更しました。
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