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2011年6月24日 (金)

Shogiブレイクムーブ01 【93】

93.

対局室から少し離れた部屋で、高畑は庄村すず子や広花ナツキなどの関係者と大型スクリーンでネット中継の盤面を見ていた。「先手反則負け」の表示が現れた時、最初に反応したのはすず子だった。

椅子から立ち上がった彼女は一瞬のためらいも見せず部屋を飛び出して行った。その動きの意味を悟った高畑がその後に続いた。対局室のドアを開けたのはすず子だった。部屋のほぼ中央で、陣基は体を半分に折るようにしてテーブルに突っ伏していた。二人の立会人は何が起こったのか理解できず呆然と立ち尽くしていた。

「急に頭がガクンて下がったと思ったら、それっきり動かなくなっちゃったんですよ」

全将連から立会人として派遣されてきていた棋士がまるで言い訳でもするかのように、高畑とすず子のどちらへともなくそう告げた。

「ジンくん」

すず子は陣基に近づくと、そっと声をかけた。反応はなかった。高畑も陣基に近づいてみた。前回、場所も同じこのTMC研究所で、ハルの対局を見ていて突然昏倒した時に似ている。顔が将棋パッドの上に乗っかっている。それをパッドのセンサーが感知し着手と判断したのだろう。「連続指し」とみなされ、反則負けになったに違いない。

「救急車を呼びました」

声に振りかえるとナツキがドアのところに立っていた。

「庄村さん、まず主治医の先生に連絡を入れた方がいいでしょう。先生のところまで連れて行く場合も考えて、手は打ってあります」
「はい」

ナツキの言葉に応えるとすず子は携帯電話を取り出し廊下に出て行った。

「やっぱり無理だったんですかね」

高畑はナツキのところに歩み寄り、小声でそう尋ねた。

「今は反省会を開いてる時じゃないわ。まず陣基君を助けること、それが一番大事なこと」

高畑はナツキの言葉に反論しかけたが、かろうじて言葉を呑み込んだ。

ナツキの携帯電話が鳴った。すばやい手つきで電話を操り、二言、三言返事をして切る。

「ヘリの用意ができたわ」

それは、埼玉の主治医のところまで陣基を連れて行くことが必要になった場合を想定しての手配だった。

すず子が戻ってきた。

「やはり先生は、自分のところまで連れて来いって言ってました」

申し訳なさそうにそう告げた。

「分かりました。ヘリの用意をしてありますので、救急車でヘリポートまで運んでもらいましょう」
「じゃ僕も一緒に……」と高畑が言いかけた時だった。
「いえ高畑さん、けっこうです」声は小さかったがすず子の言葉には断固とした拒否の響きがあった。
「でも……」
「お心遣いありがとうございます。本当にお世話になってばかりでお礼の言葉もありません。ですが、この対抗戦に参加することは陣基と私で決めたことです。なので、今日のこの結果はあの子と私の責任です。今、電話で先生にも怒られました。なんで、そんな将棋を指させたんだって。でも後悔はしてません。陣基も同じ思いのはずです。この大会のことを初めて話した時、あの子ははっきりと参加したいと言いました。あんなにはっきりと意欲を口にしたのは初めてでした。その時にこれがあの子の最後の将棋になる可能性があることも覚悟しました。陣基もそのことは勘付いていたはずです。久保田さんという強い棋士と将棋を指せて、あの子は精一杯頑張ったんだと思います」
「でも相手が誰かということは……」
「私が教えました。あの子には全将連の代表3人が相手だということを理解した上で戦ってほしかったんです」すず子は笑みを浮かべていた。「陣基は普通の子供のようには生きられません。サヴァンには往々にしてあることらしいんですが、健康面で問題をいくつも抱えています。だから好きなことを、できることを思いっきりやらせてあげたかったんです」
「救急車が来ました」

職員の一人がそう告げた。

金属製のストレッチャーを押した救急隊員がやってきた。デジャヴュのように、数か月前と同じ光景が目の前で展開していくのを高畑は見ていた。

隊員が陣基の様子を調べる。すず子が状況を説明する。隊員が何度もうなずき、隊員同士で言葉を交わす。一人が上体を、もう一人が脚の方を持ち、停滞のない滑らかな動きで陣基をストレッチャーに乗せた。そうして横たわると、体の細さ、小ささが際立って見える。その小さな体に毛布がかけられる。隊員がストレッチャーを静かに押して行く。エレベーターの前まで来ると、ナツキがすず子に短く声をかけた。すず子が丁寧に頭を下げて応じる。エレベーターの扉が開く。ストレッチャー上の陣基とすず子、それに救急隊員が乗り込む。扉が閉まる直前、すず子が深々とお辞儀をした。

エレベーターの扉が閉まった後、高畑はしばらくその場にたたずんでいた。すず子からは、母子の思いをしっかりと聞かされた。が、自分は何も口にすることができなかった。すず子に対する思いも、陣基に対する思いも……。それともう一つ―高畑は対局室に入る許可を得ておくべきだったと深い後悔の念に苛まれていた。全将連とCASSAとの協議で、対局室に入ることができるのは対局者本人以外には双方の立会人2名だけとすることが決まった。再三の要求にもかかわらずその決定が覆ることはなかった。そのため今回は高畑のみならず、陣基の母親であるすず子も息子の側にいることを許されなかった。もっと強硬に言い張るべきだったのかもしれない。それが悔やまれて仕方なかった。

気付くとエレベーターの行く先表示が1階に達していた。陣基は既に救急車に乗せられたのだろうか。耳を澄ましてみたが救急車のサイレンは聞こえなかった。

まだ有川と電話で話をしているときだった、携帯電話に着信があった。米原は有川に礼を言って電話を切ると、直ぐに携帯電話の着信通話に応じた。CASSAの広花ナツキからだった。

《会長、申し訳ありません》
《え、何のこと?》

有川との電話の間、米原はパソコンを見ていなかった。そのため、陣基の反則負けのことを知らなかった。無論、そのために全将連に問い合わせの電話が殺到していることも知る由もなかった。

《そりゃ困ったなあ》ナツキの説明を聞くと、米原は椅子に腰掛け体を大きく後ろにそらして天井を仰いだ。《陣基君が戻ってこられる可能性は?》
《主治医の判断を待たなければなりませんが、前回のこともあるので今度は簡単に行かないと思います》
《二度目なんだ?》
《はい》
《だとすると、治療には時間がかかるだろうね》
《その可能性は大きいと思います》
《そちらには、彼の代わりになる人は……》
《以前にもお話したように、現時点で全将連のタイトルホルダーと戦えるのは3人だけです》
《その内の1人が戦線離脱で、2人になっちゃったってわけか。3対2じゃ、いかにもバランスが悪いよなあ》
《申し訳ありません》
《さて、どうしたもんかなあ……》

そうやって米原とナツキが善後策を話し合っている間に、事態は思いもかけない方向に動き出そうとしていた。

健志はハル宛ての電子メールの内容を途中で変え、陣基に何が起こったのか知らないかと尋ねてみた。

《wakaranai. ima natsuki ni mail de kiiterutokoro》

即座にローマ字書きのハルからの返事が返ってきた。

《jinki ga taoretakamo》
《ぼくもそうおもう ざんねんだけど》健志のメールはすべてひらがな書きだ。
《takeshi, jinki wa katteita》
《それはどういういみ?》
《watch the internet! youll see what i mean.》

そう伝えてきた後、ハルからのメールは来なくなった。健志はハルの言葉に従い、ネット中継の画面を開いた。既に対局は陣基の反則負けで終了しているはずなのに、コメント欄が更新されている。

どうやら庄村選手に突発的な事態が起こったようで、庄村選手は救急車で病院に運ばれて行ったとのことである。詳しいことが分かり次第、こちらでお知らせする予定である。ところで、先ほどからここの投稿欄にハル選手から何度となくメッセージが送られてきている。こちらで翻訳したところ、今終わった対局は庄村選手の勝ちだったという内容だった。既に局面はクリティカルポイントを越えていて、この後、後手の勝つ筋はないとのことである。このハル選手の主張には、解説をお願いしている松野七段をはじめ、会館に詰めかけた多くの棋士たちが疑問を呈している。

「あの局面で、先後どっちにしろ、勝ちを宣言するなんて無謀です」(松野七段)
「あれで勝負がついてるなら、私は将棋の考え方を根本から変えねばなりません」(伊田四段)

ハルは読み切っていたんだ。健志は確信した。

ツイッターやいくつかの将棋関連の掲示板などでも、このことが取り上げられているようで、多くの人が半信半疑ながら、本当なら手順の例をひとつでもいいから見せてみろという意見も少なくない。記者がそのことをハル選手にメールで伝えたところ、「久保田さんが希望するなら」という返事が今返ってきた。

もしかしたら、陣基がこんな古風な将棋を選んだ背景にはハルが関係していたのかもしれない。

携帯電話が鳴った。見たことのない番号だった。

《はい、大沼です》
《突然の電話で失礼いたします。ネット中継でお世話になってる草野と申します》

それは将棋のネット中継の世界では草分け的存在の人物だった。全将連会館で幾度かすれ違ったこともある。

《お名前は存じてます》
《現在行われている対抗戦で補佐をやっているのですが、ネット中継はご覧になってますか》
《はい》
《それでは、ハル選手が庄村選手の勝ちだと言ってることはご存知ですね》
《ええ》
《そのことについて、感想を聞かせていただけませんか》
《ハルが口から出まかせを言うとは思えません。調べた上で、彼なりの結論に達したってことなんじゃないでしょうか》
《では反則負けにならなかったら、庄村選手の勝ちだったということですか》
《勝ったとまでは断定できませんが……》
《断定はできないが……》
《先手にも勝ち筋はあったと思ってます》
《大沼さんも先手が勝つ可能性があったと考えているということですか》
《はい》
《ありがとうございました》

相手はそう言うと一方的に電話を切った。まずいことを言ったかなと思いを抱きつつも健志は草野が電話をかけてきた真意がつかめず携帯電話をぼんやり眺めていた。だがその電話の意味を知るのに大して時間はかからなかった。インターネットが持つ驚くほどのスピードと、人を介することで自分の言葉が微妙に変形させられてしまう恐ろしさを健志は同時に知ることになった。

電話から2分もしない内に、次のコメントがパソコンの画面に表示されたのだ。

同僚記者が電話で確認したところ、CASSAのもう一人の代表選手である大沼四段も先手が勝っただろうとの意見だった。

対局が唐突に終わってしまった後、久保田はしばらく何が起こったのかが理解できないままパソコンの前に坐っていた。それは同じ部屋にいた立会人たちも同様だった。CASSAの立会人が携帯電話を何度となくかけ、ようやく陣基の身に起きたことを確認し、久保田に伝えた。

「ネットじゃ、大騒ぎになってるだろうね」これは全将連側の立会人だった。
「ちょっと見てみましょうか」と、CASSAの立会人が応じる。
「そんなことできるの? このパソコンは対局専用の設定で、ほかの画面は映らないんじゃないの」
「対局も終わってるし、設定を変えても問題はないでしょう」

久保田は黙ったまま、二人の立会人のやり取りを聞いていた。

「久保田先生、ちょっと失礼します」そう言うとCASSAの立会人は久保田に代わってコンピュータの前に坐り、USBをスロットに差し込むと操作を開始した。ほどなくパソコンの画面が変わり、ネット中継が表示された。

「わたしらにはまるで魔法だね」パソコンを操作する様子をじっと見ていた全将連の立会人が久保田に同意を求めるように言った。だが久保田はその軽口には応えず画面を注視していた。そこにはハルからのメールの内容が紹介されていた。

「負け惜しみもここまでいくと、可愛げがないな」全将連の立会人が気付き、苦々しげに言った。

「コメントの先を見せてくれますか」久保田の言葉に、困った表情でパソコンの前に凍りついていたCASSAの立会人がしぶしぶ操作すると画面が動き、コメントの続きが表示される。やがて、健志の発言を紹介した部分が映し出された。久保田の表情が変わった。傍らに置いてあったバッグから携帯電話を取り出して電源を入れると、直ぐにボタンを押した。相手は即座に出た。

《久保田です。ハル選手でも大沼君でもいいから、今の局面から指し継いでもらおうじゃないかと伝えてください》

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