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2011年7月

2011年7月24日 (日)

Shogiブレイクムーブ01 【96】

96.

さすがのハルも慎重だな。

指し手はようやく2手進み、問題の局面までは残り3手となっていた。今、後手の玉将は自陣にあり、金と銀がその周囲をガードしている。先手は攻め方が難しく、ありきたりの手段では攻撃がとん挫する―いわゆる「切れた」状態になりかねない。

3手後の局面では攻めを続けるのか、それとも一旦自陣の守りの体制を整備するべきか、大きな方針の決定を求められる。健志は攻めを続けるべきだろうと考えているのだが、具体的な指し手を発見できないでいる。また後手の玉将にはやがて6筋から5筋、4筋へと中央突破によってこちらの右翼に脱出され、入玉―こちらの陣内にまで逃げ込まれてしまう可能性もある。そうなっては勝負にならない。なんとか、敵玉将が逃げ出す前にとらえたい。健志はパソコンから、脇に置いた将棋盤へと視線を移した。

その瞬間だった。それまで指し手を読むのに使っていた仮想将棋盤がある領野よりもはるかに深い脳の奥底で、ある手が閃いた。一見すると「とんでもない手」なのだが、真に優れた指し手に特有の“手応え”がその手にはあった。即座に頭の中の駒台から桂馬を取り、将棋盤の5五に打った。それでとりあえず4三と6三にある敵の駒に両取りがかかる。だが、それより1つ前の5四の升目には相手の歩が待ち構えている。つまり打った途端に取られてしまう桂馬なのだ。しかしその「取られてしまう」ことこそがこちらの狙いだった。後手は放置すれば4三か6三にある駒を取られるので当然5四の歩で桂馬を取らざるを得ない。その瞬間、自分の玉将が先手陣を目指して逃げ出す経路が自軍の駒でふさがれることになる。

健志は5五桂打ちという手の効果を確認し、慄然とした。ハルはこの手にいつ気付いたのか。ネット上で久保田棋帝や観戦者たちに向って「先手が勝っていた」と主張した時には既に気付いていたのだろうか。だとすると20手以上前に、相手の歩の前に桂馬を打って捨てるというきわめて気付きにくい手を読み切っていたことになる。

今の局面を目の前にすれば、トップクラスの棋士なら5五桂打ちという手に気付くことができるだろう。しかし、今より2手前の局面で気付ける者の数は間違いなく少なくなるだろうし、さらに5手前、10手前……と、局面を遡行していくほどにこの手を見つけられる人間の数は減少していくに違いない。20手以上前に気付ける人間なんているだろうか。ハルはそれをやってのけたことになる。

健志は再びパソコンの前に戻った。ほどなくハルが5五に桂馬を打った。

「勝った」

その後の変化を調べ尽くしたわけではないが健志はそう確信した。おそらく久保田もハルが考慮している間に気付き、その後の対抗手段を懸命に考えていたのだろう。あまり時間を措かず5五同歩と桂馬を取った。やはり放置することはできなかったのだ。玉将の逃げ道をふさぐことになるが、機を見て今桂馬を取った歩をさらに5六まで進められれば、また脱出路は確保できる―そう考えたのだろう。

だがその機会は訪れなかった。

直後にハルの猛攻が始まった。相手玉将の前に歩を続けて打って取らせる「連打」から始まり、それまで自軍の玉将を守っていた左翼の金や銀なども次々に戦線へと繰り出し、常に「詰めろ」(次に王手がかかる状態)や「二手すき」(次に詰めろがかかる状態)の状況を維持しながら後手の玉将を追い詰めて行く。しかも一手にかける時間がほぼ一定していて、確信を持って指していることがはっきりと分かる。

対する久保田は長考と小考を繰り返しながら、劣勢を覆す手を必死に探しねばったが、ついに力尽きた。ハルとの戦いが始まって50手あまり、久保田が投了した。

           *****

四分割されたパソコンの画面に映る4人に向って米原は重い口を開いた。

「昨日、久保田棋帝から代表を辞退するという申し入れがありました」

画面に映っているのはCASSAの広花ナツキ、対抗戦のスポンサーである東西のITTの代表者、それと東日新聞の将棋担当記者だった。

「説得してはみたのですが、『相手が挑発的な発言をしてきたとはいえ、分別を欠いた身勝手な行動を取った上に、将棋にも敗れるという醜態をさらした以上その責任を取る』ということで本人の意志は固く、やむなく了承しました」

4人は黙ったままだ。

「久保田君に関しては全将連として何らかのペナルティを科すつもりでして、現在理事会でその内容を検討中です」

その言葉に反応するようにナツキが発言した。

「CASSAでも、ハルに対しては厳重に注意し、今後対抗戦期間中はネットでの発言を一切禁止しました」
「で、その対抗戦、どうします?」と言ったのは東日新聞の記者だった。「CASSAの方には庄村君の代わりになる人材がいないし、全将連の方は久保田さんがこんなことになっちゃったわけで、今の段階じゃ双方2人ずつでしょ。どうにも盛り上がらないんですよね」

確かにその通りだ、と米原も出場棋士の数が減ることによって対抗戦への関心が落ち込むことを懸念していた。だからこうして急遽会議を開いたんじゃないか。米原は画面の中から、体を少し傾けただらしのない姿勢で時折こちらを見る記者の顔を睨みつけた。

「会長、この際残った4人の総当たり戦に変えるっていうのはどうですかね」記者が尋ねた。
「それはできません。お好み対局ならいざしらず、このような棋戦で名人と龍王を対戦させることは絶対にできません」断固とした口調に、東日新聞の記者も黙らざるを得なかった。
「実は広花さんとも協議したんですが……」少し間をおいて米原が言った。「今の4人のままで続けることにしたいというのが全将連とCASSAの希望です」
「4人で、ですか」ITT東日本の部長だった。
「はい。規模が小さくなるのは避けられませんが、ハルと名人や龍王との対戦をぜひ見たいという要望が数多く寄せられてまして、対抗戦を打ち切ることだけはなにがなんでも避けたいと思っています」
「どうやら、すでに腹案をお持ちのようですね」今度はITT西日本の常務が発言した。
「はい。双方2人ずつの対抗総当たり戦ということで4局行います。毎週土曜日に1局ずつ開催し、4週間で完了ということにします。対局規定は従来通りです。ただし……」米原はそこで一旦言葉を切り、「大沼君から、2局ともネット対局ではなく通常の形で対局したいという要望がありました。彼の対局に関しては、しかるべき場所での公開対局にしようと考えています」
「しかるべき場所とは具体的には……」
「はい、ITT東日本さんの本社ビルにあるイベントホールを考えています。で、対局の様子を初手から投了までネットテレビを使って中継しようというアイデアです」
「それは面白いね」ITT東日本の部長が反応した。「すぐにホールの空き状況を調べさせよう」
「あ、それには及びません。実は……」米原は言い難そうに言葉を継いだ。「担当の方を通じて、使えることを確認済みなんです」

画面の中で、ナツキ以外の3人が「なんだ」という表情になった。

「ハルについてはどうするんです?」
「彼はコンピューターと一心同体ですから、公開対局というわけにいきませんが、こちらはそのコンピューター室にカメラを持ち込んで同じくライブ中継します。もちろん全将連会館の対局室にもカメラを入れ、名人や龍王の対局姿も中継します」
「それはいいね」西日本の常務だった。「実は、棋譜中継だけじゃつまらんと思ってたんですよ」
「ありがとうございます。それで賞金についてなんですが、参加する棋士の総数が減ったのですから賞金規模も小さくするのが筋かと思いまして、当初の計画を変更して、まず勝利者賞ということで勝った者に1,000万円を贈ります。また1人当たり2局を指すことになるのでその2戦を全勝した者にはさらに1,000万円をボーナスとして出します。従って賞金総額は最大で6,000万円ということになります」
「米原さん、我々にとって賞金の額は大した問題じゃない。確かに久保田さんが出られないのは残念ですが、だからといって賞金を減らすのは得策とは思えない。今仰った額をそのまま倍にして、賞金総額は当初の通り1億2,000万円でいきましょう」東日本の部長の言葉に西日本の代表である常務も大きく頷いた。
「ありがとうございます。それではお言葉にあまえて、賞金総額1億2,000万円ということで、あとはスケジュールを調整した上で最終案ということで明日にでもお持ち申し上げます」

どうにかスポンサーの同意を取り付けることができて米原は小さく安堵の息をついた。

 

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2011年7月11日 (月)

Shogiブレイクムーブ01 【95】

95.

対局室のドアはロックされていた。何度かノックしたものの中から反応はなかった。

「合鍵はないのか」

米原が後ろでうろたえているばかりの小野寺に尋ねたが、

「この部屋にはネット対局用の機材が入っているので安全のため特殊なロックに取り換えてますので、合鍵といったものはないんです」
「どういう意味だ?」
「そのドアノブの上にあるテンキーから6桁以上の数字を組み合わせて入力して暗証番号として設定するようになっているんです」
「その番号を君は知ってるのか」
「はい」
「だったら、さっさと開けろよ」叱責にも近い言葉に慌てた小野寺は米原を押しのけてドアの前に立つと急いで数字キーを押した。何度か繰り返した後、
「どうやら誰かが暗証番号を変えてしまったようで……」
「要するに開けられないのか?」
「申し訳ありません」

自分が興奮すればするほど小野寺は委縮するばかりで、事態の解決に結び付かないと判断した米原は、別の階にあるネット中継のための技術室に向かうことにした。その後を小野寺もついて行く。

途中、階段の踊場で米原は振り返ると、努めて穏やかな口調で言った。

「君は事務所に戻って、ファンからの問い合わせに対応しなさい。電話がひっきりなしにかかってきてるんだろ」
「はい」
「余分な混乱が起きないよう、職員を指導してあげなさい」
「あ、はい」

小野寺は数度お辞儀を繰り返すと1階を目指して階段を駆け下りて行った。

「あと5手だ」ハルと久保田の対局が始まってから健志はパソコンの横に将棋盤を置き、自分の読みと画面上の進行とを比較しながら見ていた。指し手が進んだ今、健志がハルに連絡して意見を聞こうかと思った局面へと近づきつつあった。

健志も突然始まった▲ハル-△久保田の将棋に、最初戸惑い、なぜそんなことになったのか訝しんだ。

久保田棋帝からの提案で、ハル選手が庄村選手の側を持って、先ほどの終了局面から指し継ぐことになった。ただしこれは公式対局ではなく、あくまでエキシビションマッチであり、久保田棋帝の言葉を借りるなら「代役によるオンライン感想戦」である。

その背後で、ネットに取り上げられた(多分に誇張された)自分の発言が一役買っていたとは健志に知る由もなかった。

ファンの反響はすごいものがあり、全将連事務局の電話はすべて鳴りっぱなしだという。その大半が「よくぞ、ハルの挑戦を受けた」と久保田棋帝の態度を賞賛する内容だとのことである。

ハルは読み切っている。それなのに自分には、この先の指し手が分からない。健志はパソコンの画面から目を将棋盤に向け、集中力を高めることに専念した。

「この対局を中止させる方法はないのかね」米原は、パソコンを操作している松木とその傍らにいる草野の二人に質問した。
「ないわけではありませんが、少々荒っぽい方法になります」リアルタイムでコメントを入力している松木は手を離せないため草野が答えた。
「荒っぽい方法とは?」
「強制終了です」
「どういうことだね」
「動いているパソコンの電源プラグを引き抜いてしまうというのがイメージ的には一番近いでしょうか」
「それは直ぐにできるのかね」
「はい、やろうと思えば」
「それじゃ、直ぐにやってくれ」
「でもいいんですか。このハル-久保田戦にファンは大喜びしてますよ。それを強制終了したら、ファンは二度も対局の途中までしか見れないことになります。後で問題になりませんかね」
「久保田さんも満々の自信ありって感じでしたからね。そう簡単には負けないでしょう」草野の言葉を引き継いで松木が言った。
「久保田君は分かっとらんのだよ。とにかく、直ぐに中止させてくれ」

米原の考えは変わらない。有川から聞かされた大山名人の指し手研究のことがあったからだ。米原自身、全部の手順を確認したわけではないが、あの大山さんが雑誌にまで書いたのだ。間違いはないはずだ。

断固とした米原の態度に草野は「はい」と言って立ち上がり、少し離れたところにあるパソコンの前に移動した。モニターを睨み付けるよう見ながら猛烈な勢いでキーを叩き始める。モニターは米原が見たこともない画面に変わり、そこに草野が打ち込む内容が表示されて行く。アルファベットと数字の組み合わせで、もとより米原にはまったく意味が分からない。

草野の手が止まる。「ん」と小さくつぶやくと再びキーボードを叩き始めた。だが今度も訝しげな表情で手が止まる。画面をじっと睨んでいたが、やがて、

「松木君、パスワード変えた?」
「いいえ」
「おかしいな」
「どうかしましたか」
「コマンドを受け付けないんだよ」
「管理者権限で入ってます?」
「もちろん」
「ちょっとこっちでやってみましょうか」
「うん」
「それじゃ、コメント欄の方をちょっとお願いします」

松木の言葉と同時に、草野のパソコンの画面が先ほどから松木が操作していた画面に切り替わり、直後に松木がキーボードを叩き始めた。今度は松木が、先ほど草野がやっていた操作を試しているようだと米原にも推測がついた。

「ダメですね。パスワードが変更されてるみたいです」
「だろう」
「だけど、パスワードを変えられるのは草野さんと俺以外にはいませんしね……。誰……」
「ハルだ」それは米原、草野、松木3人の口から同時に飛び出した答えだった。

米原がパスワードを変更したのはハルだと断定したのは直感だった。限られた範囲で使う程度のことはできるがコンピューターの中身についてはまったく分からないし、ましてや、今草野と松木が話題にしている管理者権限やパスワードがどんなものなのか見当すらつかない。だが、そんな自分にとっての絶対的未知の領域にあって、その専門家である草野や松木たちの裏をかくようなことができる人間はハルしか思い付かなかった。

技術的な対策について話し合っている二人の傍らで米原は技術的知識を持たない自分がその二人と同じ結論に至ったという事実から、ハルをどういう存在だと認識しているか次第に気付き始めていた。もともとがコンピューターと一体になって将棋を指すという、こちらの理解を超えた人間で、ある種の底知れぬ不気味さは感じていたし、コンピューターの力を利用するとはいえ、その強さが尋常でないことは分かっていた。今米原は自分には理解し得ない広さ、大きさ、奥深さを持つ人間を目の当たりにした怖れが体の底から湧きあがってくるのを感じていた。

【続く】
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2011年7月 4日 (月)

Shogiブレイクムーブ01 【94】

94.

米原とナツキの話し合いは行き詰っていた。双方3人ずつの代表による対抗戦という形で開始されたITTカップ将棋対抗戦である。一方の選手が1人少なくなったのでは、その大前提が崩れてしまうわけで、根本からの見直しが必要になる。その場合、最も重要な点はスポンサーとファンにどう納得してもらうかだが、そのための妙案が見つからず、話は停滞していた。

《何度も聞くようだけど、庄村君の代わりになる者はいないのかね?》
《申し訳ありません》
《それじゃ、こっちは3人、CASSAは2人のままで進めて行くしかないんじゃないかな》
《こちらとしては反対できる立場ではありませんが、ただそれだとファンが納得するだろうかという心配があります。一方が3敗のハンディキャップを負っていては、対抗戦の意味はなくなってしまうと見られるんじゃないでしょうか》
《確かに、対抗戦としての面白みはなくなってしまうだろうね》

厄介な事態になったなと米原は何度目かのため息をついた。話を続けている内に米原の中に、対局中に倒れるような者を代表に選んだCASSAやその背後にあるMH財団に対する怒りが生じてきていた。だが今そのことで相手を責めたところで事態が好転するわけでもない。

《話を整理しよう。CASSAには代役が務まる人材がない。つまり2人しか代表を出せない。よって大会規定にあるように、『全将連の対局規定を準用する』のであれば、庄村君は3敗となり、CASSAはスタートから大きなハンデを背負うことになる。それではたしてスポンサーやファンの了解が得られるかどうか。得られれば良し。得られないとなれば、3人対2人の対抗戦をどう合理的な形式にまとめられるか、ということになるわけだ》

米原はそう言いながら、そんなことはナツキから電話を受けた直後に分かっていたことじゃないかと自分の言葉の空疎さに嫌気を感じ、そんな分かり切ったことを殊更口にして、結論を先送りにしている自分に舌打ちをした。

ドアに大きなノックがあった。

《ちょっと待ってくれるかな》そう電話口に向かって言うと、大きな声で「どうぞ」と応えた。

ドアを開けて入ってきたのは小野寺だった。この小心者があんなに強くドアを叩くなんてなにごとだ?

「お取り込み中すみません。実は有川先生から電話がありまして……」
「有川さんが?」
「はい。で、会長とお話がしたいということだったんですが、今は電話を取り次ぐなという指示を受けているとお断りしましたら、会長は今起こってることをご存知ないんじゃないかって、まずはそのことを確認してこいと……」
「そんなことは分かってるよ」苛立ちと怒りから米原の声は自然と大きくなっていた。「それで今こうして善後策を協議してるんじゃないか」
「は、申し訳ありませんでした」小野寺はそう言うと、「おじゃまいたしました」とすごすごとドアを閉めて行った。

その小野寺は事務所に戻り、電話口で待っていた有川に米原の言葉を伝えた途端、今度は有川に怒鳴りつけられることになった。

《バカやろう! あの米原が今の状況を知ってたら、協議なんて暢気なこと言うわけないだろ。直ぐにこの電話を会長室につなげ!》

「責任は私が持ちます。直ぐにプログラムを操作して、最後の局面に戻してください」口調は静かだが久保田は如何なる意見も聞き入れない断固とした態度を崩そうとしなかった。
「しかし、許可がないと……」中継の担当であり、技術面での責任者でもある松木は久保田の要請に簡単には応じなかった。
「誰の許可がいるって言うんですか」という久保田の問いに、「この場合は……」と、松木も即答できない。
「今日の公式対局は終わってます。相手の2手連続指しで私が勝ちました。それで記録上問題なしです。でも将棋としては完結した形をファンに見せることはできていない。今その将棋を引き継いで指してもいいという相手が現れ、こちらも了承した。間違いなくファンもそれを見たいと望んでいる。誰かの許可が必要とかいう問題じゃないでしょ」

松木はじっと久保田の顔を見返して応えた。

「分かりました。ただし何が起きても久保田先生の責任ということでお願いします」
「結構です」
「では対局室のパソコンにお戻りください。準備は5分もあればできますから」

松木はそう応えると即座にコンピューターの操作を開始した。

「久保田君」部屋を出て行こうとする久保田に声をかけたのは全将連側立会人を務めた棋士だった。「これはやっぱりまずいんじゃないか」
「なぜです。さっきも申しあげたようにこれは公式対局じゃありません。公開感想戦とでも言ったらいいかな。いわばエキシビションマッチ、一種のファンサービスですよ」
「と言いつつ、あのまま指し続けていたら負けていたと言われたのが腹にすえかねるからだろ」
「当然でしょ。どれくらい強いか知りませんがアマチュアに大勢の前でそう言われて黙っていたんじゃプロの名折れでしょ」

口調が穏やかな分、かえって久保田の怒りの深さが垣間見える発言だった。

「ま、その気持ち、分からないじゃないが……」
「でしたら、私の好きにさせてください。お願いいたします」深々と頭を下げて久保田は部屋を出て行った。

有川は開口一番に言った。

《ヨネさん、あんたパソコン見てるかい》
《なんのことです?》と言いながら米原は電話を置くと、パソコンの前に坐り、マウスを動かしてスクリーンセーバーを解除した。《これは……》

画面では対局が行われていた。あの「反則負け」の画面から数手或いは10手以上は進んでいるだろうか。

《あのハルっていう向こうの選手が、久保田君に挑戦してきたんだよ。あの局面で既に後手に勝ちはなかったってね》
《でも、なんで対局が再開されてるんです?》
《久保田君が、そんならあの局面から指し継ごうじゃないかって応じて、今こうやって二人で指してるところだよ》
《そんなバカな……。誰がそんなことを許可したんだ》米原はそこで黙り込むと、思考を整理しようと努めた。
《ヨネさん、このまま行くと久保田君、負けることになるよ》
《それは間違いありませんね》
《ああ、大山先生が見つけた最も難解な筋に進んだとしても、先手が間違えなければ後手に勝ちはない》

それだけ聞くと米原は手短に礼を言って有川との電話を切り、携帯電話でナツキに言った。

《ハルは今どこにいる?》
《現在の居所は分かりませんが》
《直ぐに探し出して、今やってることをやめさせろ!》
《ハルが何をやったって言うのでしょうか》
《パソコンを見ろ。見れば分かる》

それだけ言うと、米原は会長室を飛び出して行った。

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