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2007年10月 7日 (日)

フリーランスということ(補足)

一昨日の「フリーランスということ」は論理も表現も少々荒っぽかった。なので、少し補足の意味を込めて、あの文の真意を再度述べてみたい。

まず翻訳料の振込手数料についてだが、「集金」もビジネスの一環であり、集金に関わるリスクやコストは集金する側が負担するのが原則である。ほんの20年ぐらい前までは、営業職に就いた者は、「現金払いなら集金して、小切手や手形払いならそれを現金化して、ようやく取引が完了する」と教えられたものである。今でも業界によっては手形払いが行われており、窓口まで領収証と取引先であることの証明書(「取引業者証明書」「領収印鑑票」などといった名称で呼ばれる)を持参し、手形を受け取るところもある。ことにメーカー系に多いようで、また印刷業界なども手形決済が主流である。その際に生じる交通費などの費用は、当然のことながら受け取る側が負担する。これは集金する側が個人であっても同様である。ただ現実には、支払額が少なく、手数料を差し引くと残額がわずかになったり、極端な場合にはマイナスになったりするため、企業側が負担してくれているにすぎない。少なくとも法人同士の取引であれば、支払側が負担してくれることなどない。フリーランスの翻訳者も個人事業主であり、相手の好意にすがるようなみっともない真似だけはしたくない。数百円の手数料など差し引かれても、痛くもかゆくもないと言えるぐらいの請求書を常に切りたいものだ。

私もメーカー系の企業と取引があるが、1ヶ月の支払額が100万円を超えた場合は「半手半金」(半額を手形払い、半額を現金払い)という条件のところと(仮にA社とする)、50万円を超えた場合は全額手形払いという会社(同B社)がある。A社に関しては、交渉によって「半手半金」をやめ、全額現金払いにしてもらったが、B社では特別扱いは認められなかった。

翻訳手数料支払いの際に、支払う側(通常は翻訳会社)が振込手数料を差し引くのはおかしいという人たちは、1ヶ月の支払額が500,001円以上は全額手形払いだという取引条件にどう対応するのだろうか。B社の場合、末日締めの翌月末日振出でサイトは90日だから、売上が現金化されるまでには最長で150日かかる。割り引けばよいというかもしれないが、非上場会社の手形を割り引いてくれる銀行などないだろう(B社も非上場企業であり、翻訳会社で上場しているのは1社しかないのではないか)。業者に持ち込めば、割引手数料は10%を越すと思われる。勿論、法人に対しては手形払いであっても、個人には全額現金払いという会社もあるが、逆に個人とは、単発的な取引だけで定期的取引をしないという会社もある。

そういう意味で、原則現金払いの翻訳会社というのは取引しやすい相手と言える。これは推測だが(とはいえ、ほぼ確信を持って言えるのは)、振込手数料を差し引くのはおかしいと言っている人たちは翻訳会社からしか仕事を受けたことがない人たちだろう。言ってみれば、井の中の蛙である。翻訳会社が取引をしている「翻訳業界の外の企業」の中には、上述したような手形払い、半手半金という条件の会社が存在する。さらには、これは厳密には法律違反に当たるらしいが、「先付け小切手」での支払いもある。無論、現金化できるまでの期間を持ちこたえるだけの資力があれば何ら問題ないだろうが、そうでなければこうした取引形態の金銭的負担は、ほんの数百円の振込手数料とは比較にならないほど大きい。手数料を云々する人たちは、それをも不当だと糾弾するのだろうか。

見方を変えれば、個人の翻訳者がそうした手形払い/半手半金/先付け小切手といったリスク/コストに曝されないのは、翻訳会社が一種の防波堤となっているからだ。そのリスク回避のコストと考えれば振込手数料など安いものだと言える。だが、翻訳会社にしてみれば、毎月数十人、数百人に対して支払うのに、そのすべてで振込手数料を負担すれば、トータルの金額は相当なものになるはずである。手数料にいちゃもんを付けるのはそうした歴史的な背景や現実の取引に内在するリスクを十分認識し、理解してからにすべきで、そうでなければ単なる勉強不足だと言えるだろう。

次に「従業員に支払う給料からは振込手数料は差し引かないのに、翻訳料の支払いからは差し引くのはおかしい」という主張は、従業員というのは会社と雇用契約を結んでいるのだという点を忘れている。会社は従業員に関しては、所得税の源泉徴収や、雇用保険および健康保険への加入など各種の義務を負っており、その費用の一部を負担しなければならない。それが雇用者の責務である。「従業員に支払う給料からは振込手数料は差し引かないのに…云々」と主張する人は、そうした従業員と自分とを同一視しているのだろう。被雇用者でもないのに、被雇用者と同等の待遇を求める--これが「サラリーマンのような人たち」と言った根拠である。また、従業員は確かに我々フリーランスから見れば「手厚い」処遇を受けているが、その反面、働く時間や場所、業務内容について指示に従わなければならない。フリーランスにはそんな義務はない。その会社の仕事をしたくなければ断る自由がある。いわばまったく身分が違う。それと給与振込に関しては、(ある程度の規模のある会社の場合)銀行がサービスとして無料で行っているケースが多い。会社が引こうにも、もともと振込手数料が発生していないのだ。

次に「当初の取引条件にない不当な作業を無償でやらされた」と不平不満を述べるケースだが、これについては既に述べたとおり、不当だと思うのならそんな要求は突っぱねればよい。それで取引を停止するというのなら、それで結構ですと言い切れるだけの実力を付けるだけである。その程度の力もなしに、唯々諾々と従っておいて、あれは不当だと騒ぐのがおかしい。翻訳会社はいくらでもあるのだ。さっさと「鞍替え」すればいいし、それがフリーランスの最大の特権である。その特権を行使せず、後になって騒ぎ立てるのは単にみっともないだけでなく、自分の力不足を喧伝しているにすぎない。

「翻訳業界を改善する」あるいは「非力ながら、改善に寄与したい」という高邁な主張については、そうした志の高さは評価するものの、そのための手段が声高に主張するだけでは無駄であると言いたい。最も効果的な方法は、上にも書いたが、金銭面を含め不当な要求をしてくる翻訳会社の仕事を受けないことである。私がこれまでに取引をはっきりと断った会社が2つあるが、その2社とも今は存在しない。不当な条件を押し付けてくる会社というのは自然淘汰されるものである。

ところが、「不当な作業を無償でやらされた」といった類の不平を言う人に限って、(たとえば英日翻訳の場合で)1ワード当たり6円だ7円だといった、それこそ不当に低い金額で翻訳を請け負っていたりする。業界の水準を下げる片棒を自分が担いでいることを自覚していない。翻訳者は弱い、弱い、と言うが、本当にそんなに弱いのだろうか。弱いと言う人の少なからぬ部分は単に力不足なのではないだろうか。

また、「業界の改善に寄与したい」と言って、いろいろと要求を並べ立てる人はそれで本当に改善に結び付くと思っているのだろうか。私には蟷螂の斧にも等しい行為としか思えない。そう主張する人はそれで自分の不平不満の解消手段にしているだけではないだろうか。建設的な愚痴というのは正論に聞こえるから始末が悪い。だが所詮愚痴は愚痴であり、そういう人間は言うだけで実行が伴わないのが常だ。声高に叫ぶよりも、良質の仕事をコンスタントに発注する良心的な翻訳会社とだけ取引をするようにした方がよっぽど業界の底上げにつながるはずだ。

翻訳業界は比較的参入障壁が低く、強力な同業者組織もない。そうした業界では、悪質な企業を駆逐するのは不可能である。つまり、焼き畑農業的なビジネスすら不可能ではなく、また、倒産した翻訳会社の幹部が短時日の後に新たに別の翻訳会社を設立するなどというケースも耳にすることがある。私が10年近く取引をしてきたある会社が数ヶ月前に倒産したが、その会社の翻訳業務担当部署で働いていた人たちが新たに翻訳会社を設立したが、その数は今日までに3社に上る。勿論、その3社が悪質な企業と言うのではない。私が言いたいのは、それほどに翻訳会社というのは簡単に立ち上げることが可能であり、新規参入が多いということは、この業界の慣行を無視する、あるいは最初から知らないという会社もあり得るということである。

私がこの仕事を選んだ理由の一つは「徒党を組みたくなかった」からである。別に人間嫌いでも、人間不信でもない。ただ、自分の仕事に関しては100%自分で責任を負いたい。逆に言えば、ほかの人のせいで自分のやった仕事の評価が左右されるのが嫌だったからである。なので「組合の設立」という件に関しては関心もないし、組合を作って何をしようというのか理解もできない。最低翻訳料金の設定だろうか。それには、まず翻訳者の免許制度が必要だろう。だとすればそれは組合でなくともできることではないだろうか。

最後に、これはまだ裏付けが取れていないことなので、推測として述べるに留めるが、ヨーロッパの国々に比べ日本の翻訳料金が全般的に低いというのは、この国が海外からの情報摂取によって国造りを進めてきたという歴史的背景と関係があるのではないかという気がする。大量の情報を翻訳しなければならなかったとき、そのコストが高ければ極めて大きな阻害要因となる。そうした歴史的背景から、翻訳にコストをかけない文化的素地が生まれてきたのではないだろうか。

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