« “かぐや”からのHDTV撮影 | トップページ | サザエさん人形焼 »

2007年11月 8日 (木)

混合診療

昨日のニュースでもうひとつ重要な問題があった。

「混合診療」で、本来は健康保険の対象となるべき治療までも患者の自己負担とすることは違法だという判決が東京地裁で出された。

しかも癌患者である原告は、依頼した弁護士にことごとく断られ、この難しい訴訟を自分で戦い、勝利判決を勝ち取ったというのだからすごい。

制度として考えた場合、難しい問題があるであろうことは推測できる。国家の制度である以上は、「平等」「公正」といった前提を無視するわけにはゆかないだろう。しかし、癌という生死に関わる病気において、個々の患者に「平等」だ「公正」だと言ってもそれは理不尽というものだ。

「生きたい」という思いは人間の根源に関わることであり、病人は、それが死につながるような病気であればあるほど“利己的”になる。それは人間というよりは生き物としての生得的性質であり、それを否定することは誰にもできない。

混合診療は、自分が助かろうと、隣りのベッドに寝ている患者の薬を「俺の方が高い値段で買い取るから」と言って、いわば“札びらで奪い取る”ような行為や、他人を蹴落としてでも生き残ろうという行為ではない。自分が持てる資力の中で、病気に効くという食べ物や飲物を買い求めるのと同一の心情に発する行為だ。

混合診療に反対の立場を取る日本医師会では、「国が果たすべき責任を放棄し、お金の有無で健康や生命が左右されるようなことがあってはな」らないとした上で、「混合診療の問題を語るときには、『自分だけが満足したい』という発想ではなく、常に『社会としてどうあるべきか』という視点を持たなければならないと考え」ると主張する。だが、それは生死にかかわる病を得た者とその家族の不安、無念、焦りを無視した理屈だと思う。

半年後、1年後に死ぬかもしれないと分かった時、手持ちの財産をすべて投げ打ってでも生きたい、助けたいと思う気持ちはきわめて当然なことだろう。その自然な心情の発露をすくい取れない制度は不備であると言わざるを得ない。また今の制度では、いわゆる大金持ちしか助からないという面もある。

10年以上前になるが家族が癌を患い、ある人の勧めで免疫療法を受けることにした。1回の治療に要する費用は約25万円で、勿論保険の適用は受けられない。費用を工面して数回の治療を受けさせることができたが、主治医はその件については見て見ぬふりをしてくれた。もしあの時、「混合診療だから、初診からの費用全額を自己負担しなさい」と言われたら、おそらく払い切ることは不可能だっただろう。

だが「25万円なんて問題じゃない」という程の資産家であれば、たとえ保険診療分まで自己負担となったとしても、そうした治療を受けるだろう。現にその免疫治療のクリニックには、明らかに裕福そうな人たちが少なからず訪れていた。中には北海道から東京にあるクリニックまで飛行機を使い、ホテルに泊まり、月に2~3回通ってくるという人もあった。

また日本医師会の「お金の有無で健康や生命が左右される」という主張は、「保険診療だけでは助からない患者でも、保険外診療を並行して受ければ助かる可能性がある」ということを暗に前提としている。費用はかかるが効果のある治療法がある。でもそれを使ったら、通常の保険診療は受けられなくなる。だから金銭的にゆとりのない人は、その効果のある治療法を諦めざるを得ない--この現状こそが「お金の有無で生命が左右され」ている状態ではないだろうか。

またこのことは政府の怠慢を示唆していると言えるだろう。日本医師会も指摘していることだが、問題は効果があるとされる薬や療法が認可され、保険診療として認められるまでに時間がかかりすぎる点にあるのではないか。100%効果が確認できなくても、ある程度の効果があれば許可するという積極的な姿勢が欲しい。

病気の治療に関する問題は、第一に患者の立場から考えるというのが大原則だと思う。

|

« “かぐや”からのHDTV撮影 | トップページ | サザエさん人形焼 »

その他」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/220529/17014019

この記事へのトラックバック一覧です: 混合診療:

« “かぐや”からのHDTV撮影 | トップページ | サザエさん人形焼 »