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2007年12月30日 (日)

美容整形:身近な人の変化(へんげ)

知り合いの女性が美容整形手術を受けた。手術自体は珍しいことではない。女子高校生でも受ける時代だ。芸能人では当たり前になってしまい、最近では突然あごのラインがほっそりとした女優がいても話題にもならない。昔、大騒ぎになった弘田三枝子やいしだあゆみの頃とは比較のしようもない(比較しても意味ないが)。

しかし芸能人の手術であれば酒の肴として話題にするぐらいで、見る側の反応が相手にフィードバックされる気遣いはなく、どんな反応も(そして酷評も)許されるのだが、個人的に見知った人がある日突然、目が二重まぶたになっていたり、鼻が高くなったりすると、どう反応してよいものやら大いに困る。

一方で、当人は相当のコストをかけ、また手術失敗のリスクまで負って得た結果なのであるから、それ相応の反応なりコメントなりを期待しているのかも知れない。

元来人間は容貌の評価に関しては保守的である。というか、私はそういうことに関して保守的であり、やはり自然のままの方が人は美しいと思う。また50年以上を生きてきて、これまでに出会った人々の顔に関し、自分なりのデータのベースができ上がっており、そうした顔データの更新には“納得できる理由”が必要となる。それは普通、加齢であり、事故や病気などもある。そうした“納得できる理由”でない限り、どんなに華麗な変身も(身近な人間の場合には)自動的に拒否する心理が働く。つまり、「前の方が良かったのに」という感想を抱くことになる。

見るのが最も恐ろしいのはよく知っている人間の一部分だけが変わった場合だと安部公房が言っていたと記憶しているが、確かにその人との距離が近ければ近いほど、わずかな違いでも目に付き、その差が増幅され、しかも過去のその人のイメージという抜き難い基準があることから、単なる違和感に終らず、恐怖にまで発展してしまうのだろう。

このことを逆から見れば、「よく知っている」という比較の基準がない場合、差を知覚することはできないのであって、故に、生れながらの造作とどれほど違っていようと気にはならないことになる。芸能人の整形手術が、個人的なレベルではまったく気にならないのは、大方の一般人には芸能人の“before, after”を比較する基準がないからだ。

知り合いの女性の変身ぶりを見て、俄然読み返したくなり本棚から引っ張り出してきた本がある。岡崎京子の『ヘルタースケルター』である。

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