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2007年12月 4日 (火)

翻訳というテーマ

このブログを開設して4か月近く。振り返ってみると「翻訳」に関連した記事が少ない。此は如何に。

ブログで翻訳のことを取り上げない理由の一つは、ブログは私にとっては「息抜き」であり、こちらにまであまり仕事を持ち込みたくないという思いがあるのは事実だ。

だがもう一つ大きな理由があるような気がする。

日々翻訳作業を行っていると、当然ながらいろいろな問題、疑問に出くわす。以前はそうした事柄をメモしたり、後で反芻したりしたが、この頃はそうしたことがなくなってしまった。

それは翻訳に対する感性が鈍化しているからだという気がする。無論、疑問や問題点を未解決のまま或いはナマのまま、ブログに挙げるのを良しとしないからでもあるのだが、これからは少し視点を変えて未解決なテーマでも取り上げてみようかと思っている。“ナマのまま”の方は取引先との守秘契約との関係もあって難しいが、問題の本質に影響しない程度に手を加えるということで対応も可能だろう。

目下、最も気になっているテーマ、それは「日本語として自然な表現は、いわゆる“翻訳調”の表現よりも、翻訳として優れているか」ということ。この点について書き始めるときりがないので、今日はテーマの提示に留めておくが、今我々が当たり前に使っている日本語表現の中には、かつて外国語からほぼ直接訳したものが少なからず含まれている。それが長年月、日本語環境の中で使われ、語彙の一部として定着したことで、日本語と化し、その表現力を豊かにしている

“翻訳調”や“直訳調”の表現だからといって一概に非難することは、一度見直す必要がある。

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