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2008年1月 7日 (月)

真部九段生涯最後の一手「4ニ角」

真部一男九段が昨年11月に亡くなったことはこのブログでも取り上げたし、ネット上でも大きな話題になった。その真部九段が10年以上にわたって「将棋論考」というコラムを執筆していた雑誌『将棋世界』の最新号が追悼特集を組んだ。

その特集に、真部九段の弟子である小林宏六段が一文を寄せ、次のような話を披露している。

入院した師匠を見舞った小林に、真部がこう言った。

「あそこで4ニ角と打てば俺のほうが指せると思う」

「あそこ」とは下図に示した、真部九段最後の対局における投了局面である。真部はここで△4ニ角と自陣角を打つ手を用意していた。直接の狙いは△9ニ香→△9一飛の端攻めである。

Photo 

 

 

 

 

 

 

自陣角という手は一般に狙いが分かりづらく、相当の棋力がないと意図を読みきれないものであるが、この4ニ角は比較的分かりやすい。先手は端を攻められるのが分かっていても、いざそれを受けるとなると難しく、せっかく組み上げた美濃囲い+右銀の堅陣の最も弱い地点をずばりと突かれた形になる。さらには8六歩を突けないのもつらい。駒組みの進展性がなくなるからだ。

小林は師匠の言葉を聞き、家に戻ってから棋譜を並べてみた。確かに鋭い一着である。後日、再び病院を訪れた弟子に真部は言った。

「みんなあの形は2ニ飛に回ってるけど、俺には本筋とは思えないんだ」

そこで小林は尋ねた。

「先生はあの日なぜ角を打たなかったんですか」

それに対する真部の答えは予想外のものだった。

「角打つと相手は長考するだろ。そうすると投了できなくなってしまう」

自分が一局の将棋を最後まで指すことができないことを知っていて、なお最善手が見えていた将棋指しだけが言える言葉である。そして真部はこうも言った。

「誰か(あの4ニ角を)指してくれないかな」(カッコ内は引用者加筆)

真部が亡くなりその通夜の日、将棋会館ではC級2組の順位戦が行われた。(以下は、同じ『将棋世界』の「千駄ヶ谷市場」という先崎学八段の文を一部参照)その中の1局、村山慈明五段‐大内延介九段戦で出現したのが下図の局面である。

Photo_2  

 

 

 

 

 

 

そう、まさに真部が言い残した4ニ角を、病状をめぐって真部と多少の因縁なしとしない大内が打ったのである。しかも通夜の日に。この1手に対し、先手村山はこれも真部の“予言”通り長考に沈む。2時間近く考えた末の一着が8九銀という、辛抱を絵に描いたような受けの手だった。その後、将棋は後手有利で進むも大内に緩手があり、最終的には先手村山が勝ちを納めた。

終局後、先崎が真部の最後の対局のことを知っていたのかと尋ねると、大内は知らなかったと答えたそうである。

だが本当は、大内は真部最後の投了図を知っていたのではないだろうか。知っていながら知らないと言うのが江戸っ子大内の真骨頂であり、真部の遺志を指し継ぎ、一度はほぼ必勝という形にまで持って行った。それが大内一流の手向けだったと私は思っている。

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» 真部九段の指さなかった「4二角」 [五月兎の赤目雑記]
将棋の真部一男九段の急逝については、本ブログでも触れた。その絶局は途中でもはや指し続けることができず33手で投了となったのだが、実は真部は34手目の好手がわかっていた。 しかし、もしその手を指せば相手は長考に沈み、真部はもはやそれに耐えられないと感じてその手を指さずに投了したという。 真部らしい終わり方である。 詳しくは下記のブログに詳しいのでそれ以上書く必要もないだろう。ご一読ください。 真部九段生涯最後の一手「4ニ角」 http://partyinmylibrary.coc... [続きを読む]

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