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2008年2月14日 (木)

市川崑監督逝去

市川崑監督が亡くなった。92歳だった。


私の世代だとやはり東京オリンピックの記録映画がその名前を知るきっかけだったという人が多いのではないだろうか。特にドキュメンタリー映画がどうの、記録映画とはこうだといった先入観がなかったせいだろうか、初めて(高校生ぐらいだったと思う)観た『東京オリンピック』はきれいな映画だったという記憶がある。中でもマラソンのアベベの表情が印象的だった。


実はしばらくの間、「市川崑」と「清水崑」を混同していた時期があった。

清水崑は、今40代以上で、東京で生まれ育った人なら憶えていると思うが、都民の日(10月1日)になると配られた「カッパのバッジ」、あの絵の原作者である。

私にとっては、「市川崑」よりは「清水崑」の方が先に憶えた名前であり、「そうか、あのカッパの絵を描く人が映画も作ったのか」と思い込んでしまったものである。

さらに遡ると、「清水崑」の前には「大村崑」がいて、ほんのちょっとの間だが、この2人も混同していたことがある。そう、昭和30年代の小学生にとって「こん」などという名前の人間がこの世に何人もいるなどとは考えもつかなかったからである。

市川崑監督の作品はあまり観ていないが、その中では『太平洋ひとりぼっち』が記憶に残っている。正直、あまり芝居が上手とはいえなかった石原裕次郎がこの映画ではとっても活き活きとしていた。それと市川監督と言えば、くわえタバコ。タバコをくわえやすくするために、前歯を削ったなどという話も聞いたことがある。打ち込む人―そんな職人気質を感じさせる監督だった。

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