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2008年3月31日 (月)

「誰でもよかった」

茨城県土浦市と岡山市で起きた殺人事件の犯人が口にした言葉。

土浦の事件は、警察の取調べが進むに連れ、犯人の異常な言動が浮き彫りにされつつあるが、岡山の事件は逆で、犯人は「普通の少年」という印象が強い。それも、おとなしくて真面目で優秀な少年。

なぜ少年が人殺しという重い犯罪を犯したのかは分からない。警察の捜査や裁判でもそれは解明しきれないだろう。明らかになるのは、法律的に犯罪の有無や罪の軽重を判断し、罰を決定するための根拠でしかない。

岡山の事件の少年が土浦の事件に触発されたことは間違いないだろう。それにしても、学校でトップクラスの成績を上げていながら、家庭の事情で大学をあきらめなければならないというのは18の少年にとってはこの上なく辛くて酷い現実だったに違いない。

ラスコーリニコフの身勝手な論理は肯んじ難いが、この少年が感じたであろう不条理に対する「怒り」は理解できるような気がする。成績のよい自分が大学に行けず、自分よりも勉強ができなかった連中が進学する--できる人間はそれに相応しい環境を与えられて然るべきではないか。

勿論、理解できるからといって、彼の行為を正当化する気も、受け容れる気もない。彼の行為の結果、愛する息子/夫/父を突然奪われた人たちがいるのであるから。

犯罪というのは社会の脆弱な部分を狙ってくる。政治とは、その脆弱を補強し、支え、助けるものだと思うのだが・・・。この少年の犯罪は防いであげることができたと思う。

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コメント

「誰でもよかった」という一言は、「(自分の周りに)誰もいなかった」、「(自分は)誰でもなかった」という叫びにも聞こえます。

投稿: baldhatter | 2008年4月 1日 (火) 13時54分

この2つの事件、表面的には似ているように見えるのですが、根本のところはまったく異質のものであったという気がします。
それにしても、帽子屋さんもブログで取り上げられていますが、「まさか自分が」という考え方は見直さないといけないのかもしれないですね。

投稿: Jack | 2008年4月 1日 (火) 20時45分

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