« アメリア800字エッセイ | トップページ | 羽生が影響を受けた本:『将棋に勝つ考え方』 »

2008年7月 6日 (日)

コメント承認制に関連して

1ヶ月ほど前、finalvent氏がその『極東ブログ』で、コメント(ならびにトラックバック)を承認制にすることを提案していた(参照)。それは「ブログに『死ね』と書かれたことで自殺に至った少女の死」にショックを受けたせいだとのこと。

確かに、高校生の3倍以上生きてきた私でも、掲示板などネットで悪口を書かれたり、謂れなき中傷をされたりすれば怒るし、落ち込みもするし、夢に見ることもあるぐらい、ネットで「晒し者」にされることは精神的に大きなストレスとなる。MLで手厳しい批判を受け、すっかり嫌気がさし、パソコンにまったく手を触れなくなってしまった人もいる。PC+ネットは情報やデータを猛烈な速度で拡散させるのと同時に、悪意についてもまた急速に伝播させる力を持っている。また、相手の声も顔も一切が分からないがゆえに、受ける側からすると悪意だけが純化されてストレートに伝わってくるという感がある。

finalvent氏が言うように、そうした悪口雑言の蔓延防止に少しでも寄与するために、コメントやトラックバックを承認制にしようという呼掛けには賛同する。ただし、ここのようにわずかなアクセス数しかないブログで、そうした抑制効果が期待できるとは思わないし、承認制にしている理由は実はもっと個人的なものである。

私もこのブログを開設した当初、コメントやトラックバックをノーチェックで受け入れていたことがあり、口汚いコメントを受け取ったり、胡散臭いトラックバックが付いたりしたことがあった。あのまま放置していたら、今頃はどうなっていただろう(余談だが、コメントやトラックバックをどんどん受け入れ、それがどのように展開していくかを検証するブログを作ったら面白いかも知れないなどと思うことさえある)。

おそらく、自分のブログを大きく育て上げ、1日数万件のアクセスがあるアルファ級にすることを目指している人であれば、コメントやトラックバックを自由にしておいた方がアクセス数の増加には有効だろう。いわば、ブログのパブリック化である。しかし、私のようにそうした“業務拡大”を特段に望んでいるわけではなく、自分の私見・感想・雑感などをつづり、それに興味を感じたり、共感したりしてくれる人たちに読んでもらえればよいと考えている者には、その必要性は感じられない。

そう、私にとってこのブログは“プライベートな空間”であり、ここを訪れることを人に強制するわけでもなく、訪れることに見返りを求めるわけでもなく、何らかの責務を果たすことを求めるわけでもない。端的に言えば、面白いと思う人だけ来てもらい、こいつ何を言ってるんだと反感・反発を覚える人は何も言わず立ち去り、二度と来ないでいただかなくてよい。

ただしインターネットという優れた情報伝達能力を誇り、公に直結したメディアに接続している以上、机の上に開いたノートに記す文章とは違うという認識はある。因って、こちらが書く文もまた、ゆえなく他人を誹謗中傷するようなことは慎むべきであり、罵詈雑言は一切用いない。小なりといえどブログを書く者の、それが最低限度の矜持であろう。

ところで、小規模とはいえこのように毎日更新をしていると、それなりに反応はあるもので、中には非公開希望でコメントを寄せてくださる方もいる。また、個人的な知合いはEメールで意見や感想を送ってくれる。そうしたコメントやメールの中には、こちらの視点からは完全に抜け落ちているポイントに基づく指摘など示唆に富んだものも少なくない。が、そうした人たちはブログに公開されることを望んでいるわけではなく、言わば“私信”として私にEメールをくれるのである。ところで、悪口雑言に類するコメントというのも、分類すれば私個人宛ての“私信”のようなものであり、それを受け取り、読んだ時点で“私信”の目的は達成されたのであり、わざわざネットに載せて他の人の目に触れるようにする必要はないと考える。

また、コメントの中には忌憚のない意見を開陳したものもある。だが、筆の勢いがあまってしまうのか、忌憚のなさが悪口雑言につながってしまっているケースも多く、それがなければ公開してもいいのにと、ちょっと残念に思うこともある。では悪口雑言か正当な批判かの判断はどうするのかと問われれば、ここは私のブログであり、私が全責任を持って行うと答える。それがこのブログが“プライベート”であると言ったもう一つの理由である。ここは“私有地”であり、ここへの出入りや利用の可否はすべて“所有者”であるこの私の裁量によるのである。

1日のアクセス数が数万、数十万というブログの運営者の中には、アクセス数がある程度増えてくると、ブログといえどパブリックなものとなってゆくという意見の人がいるようだ。私には1日に数万件のアクセスなど未経験の世界でもあり、果たして断言する資格があるのか迷うが、ブログはアクセス数の多寡でプライベートであったものがパブリックになってゆくことはないという気がする。要は、運営者の意図・認識の問題であり、またブログの内容の問題であって、パブリックに重点があるか、プライベート寄りかが分かれるのではないだろうか。

ただfinalvent氏が、人気の拡大と共に「奇妙な孤独」に襲われると述べている点については理解できるような気がする。それは何万という人に訪れてもらってはいるが、その大多数に自分が理解されているわけではないという思いなのではないだろうか。矛盾して聞こえるが、ブログを含め、常に何かを書いて伝えようとしている人の多くは(理解されたいと思う半面で)完全に理解されることはないという思いを抱いているような気がする(この文には論理的矛盾が含まれているが、それは上記の「大多数」という指摘で解消されていると考える)。

ブログとはパブリックを指向しつつも、パブリックになりきることのない情報発信手段であり、それゆえコメント、トラックバックを制限し、承認制とすることは当然の選択肢の一つであるというのが小規模なブログを運営して1年足らずの現時点でのスタンスである。はたしてこの考えが変わってゆくものか――これからの自分の変化を注視してゆくことにしよう。

|

« アメリア800字エッセイ | トップページ | 羽生が影響を受けた本:『将棋に勝つ考え方』 »

その他」カテゴリの記事

コメント

ブログがパブリックな空間かプライベートな空間か、という命題は難しそうですよね。
ただ、「私有地」とか「所有者」という従来の比喩で語れない問題かもしれないとは感じています。インターネット自体、かつて人類が持ったことのないシステムであり、それゆえ従来の概念や比喩が通用しないと思われるからです。
私自身は、インターネットという世界をイメージするとき、漠然と「入会地」という単語を連想します。

投稿: baldhatter | 2008年7月 7日 (月) 09時48分

ブログの先輩baldhatterさんのご意見、「ふーむ」と言いつつ読みました。私もブログ開設から数年もするとまた違った見解になるのかもしれません。実はその辺の変化も楽しみにしているところではあります。
この記事を書いてから思ったのは、「ブログは私道に似ている」ということ。私道もプライベートかパブリックか、割り切れないやや特殊な性格がありますので。でも「土地」をイメージする辺りが、まだ理解が足りないのでしょうかね。

投稿: Jack | 2008年7月 7日 (月) 11時30分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/220529/41755395

この記事へのトラックバック一覧です: コメント承認制に関連して:

« アメリア800字エッセイ | トップページ | 羽生が影響を受けた本:『将棋に勝つ考え方』 »