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2008年8月16日 (土)

北京五輪柔道競技終了

北京五輪の柔道競技は昨日(08年8月15日)で全種目が終了した。

最終日の最重量級では、男子の石井慧(+100kg級)が金メダルを、女子の塚田真希(+78kg級)が銀メダルを獲得した。

今回の五輪柔道を見ながら改めて思ったのは、「柔道とJudoは別ものだ」ということ。互いが正対して、顔を上げ、組み手をしっかりと持ち合うなどという戦いは(私が見た限りは)皆無で、互いに頭を下げ、柔道着の裾を持ったり、中にはズボンを握ったりして、もう「組み手」とは呼べないような格好での戦いばかりだった。

よく言われるように日本人選手はその組み手争いで後れを取り、不十分な体勢で技をかけ、そこを力で返されて負けるパターンが多い。女子の場合はそれでもまだ、本来の形での組み方に近かったが、男子の方はまるで“柔道着を着たレスリング”のようで、あの体勢で掛けられる技はごく限られた種類のものとなる。

その中で、石井の戦いぶりはJudoに適応していた。今年4月の全日本選手権で鈴木桂治に勝ち、2度目の日本一になった時、テレビ解説の篠原信一は石井の柔道を手厳しく批判した(昨日は褒めていたが)。私も見ていて、物足りなさと、少々“姑息”な感じがして嫌だなと思った。ただその一方で、「こういう柔道が国際大会では効果的なのかも知れない」と考えたのも事実である。

男子金メダル2個という結果を受け(女子は金2個、銀1個、銅2個)、斉藤仁監督は「日本の柔道を見直さなければいけない。ジュニアの段階から育成方法を見直すべきだ」という趣旨の発言をした。それは取りも直さず、第二、第三の石井慧を育成するということであり、同時に伝統的な日本柔道からの訣別をも意味する。

オリンピックを頂点とした国際大会での勝利を至上命題とする限り、その選択は当然のことであり、むしろ遅きに失した感がないでもない。その一方で、柔道が持っていた“道”としての意義が、“国際化”、“スポーツ化”によって雲散霧消してしまうのが残念だという気持ちも払拭しきれない。

このブログで何度か取り上げたことだが、国際化とは本家の権威の衰退、“正統の消滅”と同義とならざるを得ない。

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