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2009年1月 7日 (水)

150年と250年の暗合

Photo_2今年2009年は人類の思想に絶大な影響を及ぼしたある書物が出版されてから150年目に当たる。その書物とはチャールズ・ダーウィンが著した『種の起源』(1859年出版)。

「生物種は簡単な生物から次第に進化してきた」という進化論は、神がすべての生き物を造ったとする当時のキリスト教的世界観を根底から覆す、まさに思想の一大革命だった。

とは言え、ダーウィンは1人でこの考えに到達したわけではなかった。彼以前にもフランスの博物学者ジャン=バティスト・ラマルクは「生物にはより高等にならんとする内なる力がある」と唱え、またダーウィンの祖父エラズマス・ダーウィンもその著書『ズーノミア』で、「すべての温血動物は1本の生きた糸から生まれたと考えられる」と主張した。そうした前哲の研究や教えを踏まえた上で、チャールズ・ダーウィンは“ビーグル号”による航海で収集した夥しい数の標本を丹念に調べるという実証的手法によって「進化」を証明したのである。

ところがダーウィンは長い間『種の起源』を出版しようとしなかった。キリスト教の教義に反する学説の発表を躊躇したためであり、また『種の起源』を最終的には30巻を超える大著にする構想を持っていたからだとも言われる。

1858年、ビーグル号の航海(1831年~1836年)から20年以上が経ち、それでも研究に没頭し、論文を発表しようとしないダーウィンの元に、アルフレッド・R・ウォレスという若い研究者から1通の手紙が届いた。その手紙にダーウィンは愕然とする。そこには「自然選択による生物進化」という、まさにダーウィンが長年暖めてきた進化理論が記されていたのだ。ウォレスはインドネシアなどにおける調査研究から独自に生物進化の考えにたどり着いたのである。ウォレスは自分の論文を発表したいので、仲介の労を執ってもらえないかとダーウィンに頼んできたのだった。

既に50歳に達し著名な学者でもあったダーウィンは若いウォレスの論文に恐れと焦りを覚えた。このままでは進化論の第一提唱者の座を奪われてしまう。だがその時ダーウィンが取った態度は正々堂々としたものだった。彼は無名の若者の論文を握りつぶすことなく、自らの論文と共に学会で発表するよう手配したのである。そのダーウィンの公明正大な措置に大きな感銘を受けたウォレスは「生物進化論の第一提唱者はダーウィンである」と自ら認め、一度として手柄を争おうとしなかった。

ダーウィンが公正な対応をしたことと、ウォレスが名声や富に対して恬淡とした性格であったことが幸いして、ダーウィンの「長い人生で記憶にないほど満足の行く決着」(ダーウィンがウォレスに宛てた手紙の一節)を迎えることができたのである。

奇人・変人も少なくない歴史的大科学者の中で、ダーウィンは良識的で紳士的な人物の代表の一人だろう。また紳士的と言えば、1831年から1836年まで4年10ヵ月にわたるビーグル号の航海で、最初は船長の個人的話し相手として、後に船の正式な博物学者として勤務した以外、生涯定職に就くことがなかった点も紳士に相応しい経歴と言える。

ダーウィン家は裕福な医家であり、また彼の母方の祖父はジョサイア・ウェッジウッドという、イギリスを代表する陶磁器メーカー、ウェッジウッドの創立者であった。ダーウィンの母スザンナはそのジョサイアの長女で、ダーウィンの妻エマはジョサイアの三男ジョサイア二世の娘だった(つまり2人はいとこ同士ということになる)。そうした家庭環境のため、ダーウィンは生計を立てるための仕事に就くことなく、生涯を研究に没頭することができたのである。

Photo_3ウェッジウッドはその独特の乳白色から、ジョサイアの時代に早くも英国王室御用達に任ぜられ、イギリス貴族によって愛用されるようになった。中でも、カメオの浮彫りを思わせる“ジャスパーウェア”はウェッジウッドの代名詞であり、日本でも人気の高い西洋陶磁器の一つである。

そのウェッジウッドが一昨日(09年1月5日)倒産した(参照)。ダーウィンの外祖父ジョサイア・ウェッジウッドによって創設されてから250年目のことだった。

折りしも、兵庫陶芸美術館では「創立250周年記念 ウェッジウッド -ヨーロッパ陶磁器デザインの歴史-」という展覧会が開かれており(1月12日まで)、4月からは私の地元の横浜でも、ウェッジウッドの名品約250点を集めた展覧会が開催されることになっている(いずれの展覧会にも、主催者として朝日新聞が関係しているところから、両方の展覧会の出展作品はかなり重複するものと思われる)。今年予定されている展覧会の中でも特に楽しみにしているものの一つで、既にチケットの手配はしてある。そこに倒産の報が入り驚いた次第だ。だが、展覧会が中止になることはないはずだし、ウェッジウッドの名が今度の倒産で消えてしまうこともないだろう。

ダーウィンの『種の起源』出版150周年とウェッジウッド創立250周年という節目の年に起きた倒産劇は歴史にしばしば現れる暗合―“時の悪戯”であろう。

【09.1.8:本文の一部を修正すると共に、タイトルを変更しました。】

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コメント

ダーウィンの親戚筋にウェッジウッドの創立者がいたとは...おもしろいですね。この話で、ポール・マッカートニーの奥さんだった故リンダ(旧姓イーストマン)がイーストマン・コダックと関係があるという話を思い出したのですが、今調べてみたらどうもガセだったみたいです。

気を取り直してもうひとつ。007シリーズのプロデューサーだったアルバート・ブロッコリという人がいて、野菜のブロッコリはこの人の伯父にあたる人が広めたんだとか(中学生のとき観た『黄金銃を持つ男』のパンフレットに書いてあったネタ)。

投稿: baldhatter | 2009年1月 8日 (木) 01時14分

>007シリーズのプロデューサーだったアルバート・ブロッコリという人がいて、野菜のブロッコリはこの人の伯父にあたる人が広めたんだとか

あれは人名から出た名だったのですか。このネタ、テレビのトリビアに応募すれば、採用されたかも…^^。
話はまったくそれますが、ブロッコリとカリフラワーでは、ブロッコリの方が人気があるような気がするというのが個人的感想。私はどっちも好きなので、その差が分からないのですが。もう一つのコメントありがとうございました。

投稿: Jack | 2009年1月 8日 (木) 10時13分

そうですか、ウェッジウッドが。。。 ウェールズに滞在したとき、高級品だと思っていたウェッジウッドが手頃な値段(一般家庭向け?)で出ていて、うれしかったように思います。ただ送料とかを考えると買って日本に送ろうとは思いませんでしたが。

カリフラワーもブロッコリーも日本では茹でて食べることが多いですが、北米では生でかじります。私は未だに慣れませんけど。どちらもスープ(クリームスープ)にすると美味しいです。カリフラワーは、ポトフなどの煮物の最後に入れてもいいですね。

投稿: pompon | 2009年1月 8日 (木) 23時09分

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