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2009年5月 3日 (日)

『シリコンバレーから将棋を観る』を読む

将棋好きの間で話題になっている本だ。なので将棋好きとして読まないわけには行かない。

以下に簡単だがその読後感を書いておく。

■「観るファン」
『シリコンバレーから将棋を観る』で筆者は「将棋を指さない将棋ファン」、或いは「将棋を観るだけのファン」ということを提唱している。

このことに関しては渡辺明竜王の著書『勝負頭脳』に、非常に興味深い記述がある。少々長くなるが以下に引用する。

† スポーツを観るように将棋も
 プロの将棋はファンに観てもらってはじめて価値を持ちます。その点は他のプロスポーツ・競技と全く同じです。
 しかし、一般的なイメージとして、将棋は楽しむのも何か難しそうに思われてるのではないでしょうか。でも、そんなことはありません。将棋を指すのは弱くとも、「観て楽しむ」ことは十分できます。
 例えばプロ野球を見る時。「今のは振っちゃダメなんだよー」とか「それくらい捕れよ」。サッカーを見る時。「そこじゃないよー! 今、右サイドが空いていたじゃんか!」「それくらいしっかり決めろよ!」。自分ではできないのはわかっていてもこのようなことを言いながら見ますよね。それと同じことを将棋でもやってもらいたいのです。
 「それくらい捕れよ!」と言いはしますが、実際に自分がやれと言われたら絶対にできません。「しっかり決めろよ!」も同じで自分では決められません。将棋もそんなふうに無責任に楽しんでほしい。
 ただ、将棋の場合、観戦者が「今のは金じゃなくて銀を打てばいいのに」と言う時、それは観ている側としても「できる」ことを言っているところが違うと言えば違います。これが将棋独特の面白さでもあります。プロと一緒に考えることが可能なのです。
 また、スポーツで「あそこでこうやっていたほうが良かった」というのは再現できないので永遠の謎ですが、将棋では対局後に「感想戦」というものがあってそこで指し手の検証をするので、「あそこは金ではなくて銀を打ったほうが良かった」という一応の結論が導き出されます。この結論はファンに公開されているので、観戦しながら「自分なら、こうやるのに」と思っていた手の是非を知ることができるのです。
 このようなことを考えるのに必要なのは、ほんとに基本的な知識です。プロの技術は高度ですが、基本的なことさえ知っていれば見て楽しめるのは他の競技と一緒です。そのために必要なことを、この章でお伝えしたいと思います。さらっと読んで、あとは実際にプロの対局を観ていただければ、すぐに楽しんでいただけるはずです。(『頭脳勝負』98~99ページ)

この部分を初めて読んだとき、それまでになかった観点からの、プロ棋士としての発言ということで大変面白いと感じた。また考えれば考えるほど、プロとしては当然の発言だという気もしてきた。誰もそれまで口にしなかった方がおかしいとさえ思った。しかし現実に、渡辺明以前に(私が知る限り)上のような発言をしたプロ棋士はいなかった。

渡辺の「(将棋を)無責任に楽しんでほしい」という言葉は、まさにプロ棋士としての「心の叫び」(『シリコンバレーから将棋を観る』97ページ)である。プロは自分たちが指す将棋を観てくれるファン・一般人がいてはじめてプロとして存在し得るからである。

しかし将棋を観て楽しむには最低限の知識が必要であり、それは渡辺が「将棋を指すのは弱くとも、「観て楽しむ」ことは十分できます」と言っているように「将棋を指せること」である。如何に面白い勝負でも、駒の動かした方も知らないようでは楽しむことはできない。そこが“目で見るだけで楽しむ”ことが可能なスポーツ一般と異なる点である。

サッカーはゴールにボールを蹴り込めば1点で、得点が多い方が勝ち。野球はランナーがホームに戻ってくれば1点で、やはり点を多く取った方が勝ち。ゴルフはボールを地面にあけた穴に入れることを目指し、参加者中最もボールを打った回数が少ない者が優勝―これだけが分かっていれば、あとは目の前の動きを追っているだけで楽しむことができる。

しかし将棋はそういうわけにはゆかない。将棋は“王将を詰ます”ことを競うものだが、“詰み”という状況を理解することは、サッカーのゴールや野球のホームランのように一目瞭然とはゆかない。駒の働きをはじめ、かなりの数のルールを憶え、さらには終局(=ゲームセット)の時点からさらに手を読んで、はじめて“詰み”を知ることができる。

また“観戦”という点では、まずプロの将棋を観たくとも公開対局自体が数が限られていて、しかも現場にゆかねばならない。テレビで生中継されるのは「名人戦」と「竜王戦」という2大タイトルマッチだけである。

しかもプロの将棋を生(ライブ)で見ても、ほとんど動きがない。1手進むのに1時間以上といったこともごく当たり前に起きる。“観ることが仕事”である、新聞社の観戦記者や対局の棋譜を作成する記録係(プロの卵が務める場合がほとんどである)でさえも居眠りをしてしまうことがあるほど退屈な場合がある。

では、従来の将棋ファンというのはどうやってプロの将棋を楽しんでいたのかと言えば、棋譜を読んでいたのである。棋譜とは「▲7六歩、△8四歩…」というように駒の動きを記号で表したもので、その記号をたどってゆけば、1局の将棋を最初から最後まで再現し「楽しむ」ことができる。

ただ当然ながら、棋譜を読むには記号の意味や将棋のルールを知っていなければならない。そのレベルに達するには、必然的に“将棋を指した経験”が欠かせなくなるだろう。

「しかしそれほど(将棋が)強くならなくても、将棋を観て楽しむことはできる」(『シリコンバレーから将棋を観る』98ページ)とは言うが、その「それほど強く」ないレベルというのはどの程度か。著者は、「ある局面の最善手や好手やその先の変化手順を、自分で思いつけなくても、それらを教えてもらったときにその意味が理解」(同98ページ)できるレベルを想定しているようだが、それはアマチュア23級以上ではないだろうか。私の経験からも、プロの将棋の変化手順を理解できるようになるのは「アマチュア23級」というのは頷けるところである。ただ、「アマチュア2、3級」が「それほど強くな」いレベルなのかとなると少々首を傾げざるを得ない。

また著者は、ファンが将棋を観て楽しめるようにするために「一つだけ前提条件がある」という。それは「一局の将棋がただ棋譜として提供されるのではなく、たくさんの言葉が付随して提供されなければならない」(以上、同書98ページ)と言う。

私はアマチュアの級位者が将棋を観て楽しめるようにするには言葉よりも映像(画像)の方が効果的だと思っている。その代表例がNHKの将棋中継だ。またネット中継も有効だろう。ITの普及を考えるならば、これからは後者の方が有望であることは間違いない。

現在「大和証券杯ネット将棋」というインターネット棋戦があり、毎週日曜日にトッププロの対局をリアルタイムで観戦することができる(今夜もその対局があった)。そうしたネット棋戦を観戦すると分かるが、ネットであれば級位者や低段者でもその人の棋力なりに「自分の頭の中でああでもないこうでもないと考えて(将棋を)楽しむことができる」のは間違いない。

ただインターネット将棋というのは、まだ万人が気楽に利用・観戦できるというものではなく、これからの開発・進歩をまたねばならない部分が多いのは事実である。

■将棋の普及

さて、簡単に書くと言っておきながら話が長くなってしまったが、このことは指摘しておきたい。

将棋を観て楽しむファンを増やしたいという気持ちはじゅうぶん理解できるし、そのことに意義があるという点に関してはまったく同感なのだが、問題は将棋を観て楽しむファンの増加が将棋の普及と言えるかどうかである。

それが“プロ将棋の普及”であることは疑いない。しかし、“プロ将棋の普及”イコール“将棋の普及”であろうか。私は違うと思う。

将棋のみならずあらゆる知的ゲームにおいて、まず大勢のプレーヤー(自分でプレーして楽しむ人々)が出現し(=普及)、その結果、そうしたプレーヤーの中で最強の者は誰かという素朴な疑問に答える形で、特に優れた者たちが自然淘汰的プロセスをも含め様々な手段によって選抜され競い合ってきた結果としてプロは生まれたものだろう。

そうした経緯を考えると、また将棋というゲームを出発点として発想すると、将棋を観て楽しむファンを増やすというのは、“将棋プレーヤーを増やすための直接的手段の補完手段”ということであれば大いに理解できるし、それこそ著者のような影響力の大きな著名人が声を大にすることでその効果も期待することができる。

また前述の将棋を観て楽しめるレベルが2、3級であるとするなら、そのレベルまでの“将棋教育の体系化”が必要且つ重要であり、それが“普及の本道”だろうと思う(このことについてはまた改めて書くことができればと思っており、今回は割愛する)。

■翻訳のオープン化

今回著者の梅田望夫氏は『シリコンバレーから将棋を観る』に関して「何語に翻訳してウェブにアップすることも自由」とすることを宣言した(参照)。これはきわめて興味深い試みである。

既に、英語化とフランス語化のプロジェクトが動き始めているようで(参照)、これからの動向に注目したい。

余談だが一つ気になっていることがある。このようなネット上の新しい試みには必ずと言ってよいほどコメントを発してきたこの人物が、これまでのところこの話題を取り上げた様子がない。これまで将棋関連の書籍についても書評で取り上げてきたのに、本書および翻訳のオープン化については沈黙したままであるのは何故なのだろう。

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» 観ること、楽しむこと、努力することー梅田望夫「シリコンバレーから将棋を観る」書評4 [ものぐさ将棋観戦ブログ]
ハイハイ、もう梅田さんの本の書評は飽きましたか?(笑)すみません。もう今日でおしまいにしますから。さらに書きたくなったキッカケはこの記事。 Party in Preparation 『シリコンバレーから将棋を観る』を読む 梅田氏の本は、将棋を観る楽しみを狭い範囲の将棋....... [続きを読む]

受信: 2009年5月 8日 (金) 15時05分

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