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2009年8月21日 (金)

人種の差

人種の「差別」ではない、「差」つまり違う点である。

世界陸上選手権のウサイン・ボルトを見ていて痛感したのだが、日本人があの体格だったら(ボルトの身長は196cm)、あれほどの素早さで脚を動かすことなどできないだろう。おそらく、違反薬物を用いてもあれだけの出力のある筋肉は育たないと思う。

もしボルトが伊藤浩司(100mの日本記録保持者)なみのピッチで走ったら9秒を切る記録が出ると推測されている。そうなったらもう人間の域を超えていると言えるだろう。

だがそこはうまくしたもので、ボルトほど脚が長いとモーメントの関係から、現在のピッチを飛躍的に上げることができない。逆に伊藤は現役時代、海外の大型選手には真似できない程のハイピッチで走る技術を身に付け、非黒人で最初の9秒ランナーにあと一歩まで迫った(伊藤の最高記録は10秒00だった)。要は、パワーに対抗するのに俊敏性で挑んだということだ。

こうした身体的な違いは明白であり、否定のしようもない。またその理由は生き物としての“生き残り戦術”の違いにあるので、どちらが良いとか悪いとかいう問題でもない。ただ、オリンピックを筆頭とする近代スポーツという枠組みの中では、白人種や黒人種など筋出力の大きなパワー系の方が有利であるということである。

これも逆発想すれば、パワーよりも俊敏性が有利な種目であれば、小柄なアジア系にも勝てるチャンスがあるということだが、俊敏性がモノをいう種目というのは地味なものが多いのが難点である。

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