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2010年4月16日 (金)

関西弾丸ツアー (3) 長谷川等伯展

Photo_2先日このブログに書いたように、この展覧会は見そこねたものだった。

それ以前から関西に行くことは決めていて、国立博物館の展覧会には巡回するものがあることを思い出し調べたところ、件の「長谷川等伯展」が京都国立博物館で開催されることが分かった。

京都には何度となく行っているが、国立博物館を訪れたことはなかった。これは行くしかないと決めた次第である。

長谷川等伯(信春)は現在の石川県七尾市出身の絵師で、1539年生れというから、織田信長(1534年生)、豊臣秀吉(1537年生)、徳川家康(1542年生)などと同時代の人物である。元々は武家の生まれだったが幼い頃に染物業を営む長谷川家に養子に出された。その長谷川家の養祖父、養父が共に絵の心得がある人物で、いつしか等伯も絵を描くようになったらしい。

生地である能登では主に仏画を描いていたようで、単なる地方の一絵師にすぎなかった。その等伯が脚光を浴びるようになるのは、30歳を過ぎて京に上ってからのことである。

展覧会も、その等伯の生涯に沿った構成となっている。

  第1章:能登の絵仏師・長谷川信春
  第2章:転機の時―上洛、等伯の誕生
  第3章:等伯をめぐる人々―肖像画
  第4章:桃山謳歌―金碧画
  第5章:信仰のあかし―本法寺と等伯
  第6章:黒の魔術師―水墨画への傾倒
  第7章:松林図の世界

絵師としての等伯は、当時の画壇に君臨していた狩野派をも凌駕する評価を受け、秀吉から依頼を受けたり、こうして没後400年の展覧会が開かれるほどの成功を納めたが、私生活では決してめぐまれてはいなかった。

生涯に2度結婚し、2度とも妻に先立たれ、また画才では父をもしのぐと言われ、等伯も大きな期待を寄せていた長男を若くして亡くしている(因みに日本の水墨画の最高傑作といわれる『松林図屏風』が描かれたのはちょうど長男を亡くした頃であったとも言われている)。そうした身辺の不幸な出来事もあってか、等伯の絵には信仰(法華経)の影響が色濃い。

作品はバラエティに富んでいて、大きくは仏画、肖像画、金碧画、水墨画にわけることができるだろうか。いずれも力作、名作ぞろいの中で、達磨大師を描いた『達磨図』の異形ぶりと、その性格までもとらえているような『千利休像』が印象深かった。

また国宝の『楓図壁貼付』(下写真)と『松に秋草図屏風』は、その色使い、構図、大きさ等申し分なく、見ていて飽きることがない。ただ、偉大な絵師の作品にけちを付けるようで気が引けるのだが、『楓図』も『秋草図』も、木の幹を描く筆に無造作な印象を受けた。

Photo_4

その印象は展覧会の最後を飾る等伯最高傑作『松林図屏風』を見たときにますます強まった。『松林図』には無造作な筆は1本として描かれていない。ああこれは書だな、と思った。一筆、一画といえどゆるがせにしない書の緊張で描かれた作品が『松林図屏風』なのだ。

Photo_3

『松林図屏風』をひとしきり観た後で、順路を逆にたどり『楓図壁貼付』と『松に秋草図屏風』を再び見に戻ったが、やはり感想は変わらなかった。見る目を持たない素人の戯言かもしれないが気になる点である。

ところで『松林図屏風』だが、眺めている内に無性に音楽が聴きたくなった。おそらくは観る者100人に100通りの思いを抱かせるだろう、この絵を前に音楽を聴きたい―だが、この絵に相応しい音楽はなんだろうかと考えて困った。具体的な曲が思い浮かばない。ジャズではない。無論、ポップスなど論外だ。ではクラシック…。でもモーツアルトでは軽やかすぎるし、重苦しいベートーベンは似合うまい。それではバッハ…クラシックに疎い私にはこれ以上は考えようがない。よって、未だにこの絵に相応しい音楽を思いつくに至っていない。

【『没後400年長谷川等伯特別展』は2010年5月9日まで京都国立博物館で開催】

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