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2010年7月 6日 (火)

ファウルとサッカー文化

Photo先日のウルグアイ-ガーナ戦で、敵のシュートをバレーボールのブロックのように両手で防ぎ退場となったウルグアイのFWスアレス(写真の後ろの選手)が母国で英雄扱いになっているらしい。

また、サッカー解説者や新聞記事によっては、あのハンドは反射的に出たもので故意ではないと擁護する論調も見られる。

だがそれはおかしい。そう言う人たちは世界一流のスポーツ選手の反射能力がどれほど優れているかをご存知ないのか、敢えて目をつぶっているのだろうか。スアレスが立っていた位置であれば、あのシュートに手を出すか、顔面で受けるかを決定する時間は(彼らの能力からすれば)十分にあった。

彼らは決してやってはいけないと判断すれば、空中でボールを蹴り体勢を崩して地面に落ちて行くような場面でも、下に踏んではいけない人がいれば体をひねってよけることなど容易にできる。多少才能のある選手なら高校年代でもそれぐらいのことはできる。ただし、下にいるのが踏んでもいい人間なら、よける努力などせず、遠慮会釈なく落ちて行く。

あの時、ウルグアイのFWスアレスとDFフシル(写真の前の選手)は「手に当ててでもゴールを阻止してやる」と決めていた。だから2人ともボールに向かって手を出したのである。幸いと言ったらよいのか、フシルの方は空振りに終わったためペナルティーを科されずにすんだが、当たっていれば少なくともイエローカードが出ていただろう。最悪2人ともレッドカードという事態もあり得た。

サッカーにはその国の文化・価値観が反映される。総じて南米のサッカーは「きたない」(かつて、名波浩は1998年ワールドカップ・フランス大会で対戦することになったアルゼンチンというチームの印象を聞かれ、「強い、うまい、きたない」と評した)。

2002年ワールドカップ日韓大会で、ブラジルのリバウドがコーナーキックを蹴りに行った時、時間に追われ焦っていた相手チームの選手が蹴って渡したボールが体に当たると、顔を覆って倒れ大げさに痛がって見せた。そのため、相手チームの選手は警告を受けた。

今大会の欧州予選でフランスのアンリはハンドの反則を犯しながらもゴールを決め、そのおかげでフランスは本大会に出場することができた。だが、アンリは悩み、一時は代表からの離脱も考えたという。

スアレスのハンドを日本の選手がやったとしたら、その選手は日本で英雄扱いされただろうか。おそらく、そうはならないだろう。あのウルグアイのような勝ち方をすれば、マスメディアの論調は「後味の悪い歴史的勝利」といったものになったに違いない。

それがサッカー文化の違いであり、地球上にはウルグアイのような価値観に根付いたサッカーもあれば、日本のサッカー、フランスのサッカーと、それぞれの文化・価値観の上に築かれたサッカーがある。ワールドカップは単なるサッカーの試合ではなく、その背後にある文化・価値観の衝突でもあるのだ。

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