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2010年8月28日 (土)

書類の中で生き続け200歳

(2010年)7月に東京の高齢者第2位で111歳とされた男性が白骨遺体で見つかった事件は、とうとうその男性の長女(81歳)と孫娘(53歳)の逮捕にまで至った(容疑は、遺族年金の不正受給による詐欺罪)。

この東京での事件がきっかけとなり、全国で住民登録に基づく調査が行われ、100歳を越え行方が分からないお年寄りが続出。いったい、100歳を越えて戸籍が残っているお年寄りが全国で何人いるのかさえ、今のところはっきりしていない状態である。

たとえば九州では、8月27日付の西日本新聞が九州5県で「戸籍上120歳以上、1600人超」と報じている。この数字を単純に全国に当てはめると、1600÷5×47=15040と、戸籍は生きているものの所在が分からないお年寄りが1万5000人以上に達することになる。

そして今日、長崎県壱岐市で1810年生まれの男性の戸籍が残っていることが判明した。もし本当に生きていたら200歳。史書(記紀)に記載があって、日本史上最高の長寿とされる武内宿禰にも迫ろうかという年齢である。因みに同年生れには音楽家のシューマン、ショパンがいる。日本では侠客国定忠治である。まさに歴史上の人物たちと同い年ということだ。

そうした記録(戸籍)が残っていたことは、ある意味で「すばらしいこと」かも知れないが、仮に数千人のお年寄りの戸籍が誕生から120年を過ぎても死亡等の事由によって除籍になっていなかったとしたら、これは冒頭に記した東京の事件が示唆する問題とはまったく別個の問題といえるだろう。それは戸籍制度の問題である。

人は自分が生まれたことも、死亡したことも、自分自身の手で届けることはできない。つまり、戸籍制度が管理する、「誕生」、「結婚」、「死亡」という人生の大きな3つの節目の内、2つについては他人任せとなる。「他人」とはいえ、実際には家族の誰かが届けるのが一般的だろう。すなわち、ここに旧家族制度を前提とした戸籍制度の不備が存在することになる。

したがって、そんな不完全な制度の結果として、およそ生きているとは考えられない150歳や180歳、200歳といった人たちが見つかったのは、ある意味当然のことかもしれない(記録で確認されているこれまでの最高齢は120歳である)。事件や事故、或いは家族関係のもつれなどから、届けられるべき死亡届が出されなければ、今の戸籍は100年を越えても生き続ける(理屈としては、死亡届が提出されず、行政機関が点検しなければ無制限に生き延びることができる)。

ではどうしいたらよいか。まずは戸籍から死亡による除籍というものを廃止してはどうだろう。つまり、戸籍は「誕生」と「結婚」を対象とするだけで、「死亡」は対象としない。さまざまな行政サービスや徴税・納税などは住民登録を基本とすればよい(現在と同じである)。

現在そうであるから我々はあまり不思議に感じないのだが、視点を変えると、「死亡を行政機関に届けねばならない」というのは奇妙なことではある。それを正当化する理由は何かと考えれば、我々にとってではなく、向こう(為政)側にとっての都合しか思い浮かばない。考えてみてほしい。たとえばあなたのひいおばあちゃん(曾祖母)の戸籍が今も残っていたとして、何の不都合があなたにあるだろう。

戸籍は生存証明ではないということにすればよいだけである。

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