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2010年8月15日 (日)

終戦の日

終戦の日、『戦争を知らない人のための靖国問題』(上坂冬子著、文春新書)を読む。如何にして、理を以って靖国神社の正当を立証するのかとページを開く。読み始めてほどなくそんな期待がかなうことはないと悟る。安堵。

この本は理の衣を着せた情の書である。具に読んで行けば、論理が飛躍している箇所が少なからずあることに気づく。たとえば、「遊就館」について、「識者のなかには、戦争を鼓舞する展示館のようにいう人があるが、私はそうは思わない。主観の強い人は別にして、私などかなり貴重な展示品を擁する博物館と見ている」(P.37-38)という記述があるが、「戦争を鼓舞する展示館のようにいう人」を「主観の強い人」と決めつけ、「貴重な展示品」の博物館だという。

その例として先ずゼロ戦を挙げているが、国内に10機、海外に18機ほどが現存する事実からはさして貴重とは思えない。まだしも、もう一つの例である「人間魚雷 回天」の方が「貴重」ではあろう(国内外合わせて現存するのは4隻のみ)。だが、「狙いを外すことはない」というが、回天の攻撃成功率は未だにはっきりせず、合計49隻が発進し、撃沈した敵艦船はわずか4隻だったという記録もある。初期の出撃では発進した4隻中2隻が座礁自爆したという記録もあるようだ。

また、決して生きて帰ることを想定しない設計思想に基づくあの姿と、人間が乗るスペースのせまさを目の当たりにして、「私は小さな体をむしろ誇りとして国家のために命を捨てていったであろう男の“純情”を思うと切なかった」(P.49)と感じる感性には、ある種の薄気味悪さを覚える。

遊就館というあの建物のもっとも広い展示室のほぼすべてが兵器の展示にあてられているというのは紛れもない事実であり、その他の部屋にも武器・兵器が多数展示されている点から、私はあれは兵器展示館だとみなしている。

ところで、1945年に全面降伏するまで、日本には「『お国のために死んで、靖国で会おう』 といった合言葉が挨拶代わりに使われていた時代」(P.22)というものが存在したのは事実だ。だがそうした「時代のムード」は敗戦によっていわばリセットされた。

日本は対外戦争で負けたことがなかった。なので戦争に負けるということがどういうことか分かっていない面がある。東京裁判を戦勝国の一方的な制裁の場だと非難する声がある。それは事実だろう。だが負けたのが20世紀だったから、形の上だけとはいえ裁判が開かれたのであり、19世紀以前であれば形式的裁判すら行われず、勝った方は負けた相手を文字通り蹂躙し、略奪の限りを尽くし、文化を焼き払い、歴史を抹殺した。

そうした野蛮な負け方を経験したことがない日本は、異文化、異民族、異宗教に負けるということの実態が理解できないでいた。それが東京裁判批判の背景の一つにあると言えるだろう。

靖国に話を戻そう。靖国神社は1869年(明治2年)に東京招魂社として創建された。靖国神社という名称に変わったのは1879年のことである。創建の目的は国内外の事変や戦争等の国事に殉じた軍人や軍属などを祀るためである(Wikipedia「靖国神社」より。Wikipediaの説明は、『靖国問題』(高橋哲哉著、ちくま新書)をベースにしているのだろうか、比較的中立的な立場からの記述になっている)。

これだけで勘の鋭い人なら、「ちょっと待てよ」と感じるだろう。国のために戦って死んだ者は神になるというのが靖国神社が持つ最大のメカニズムである。そこから、そのメカニズムを利用して、国民を戦争に駆り立てるシナリオなど、少し目端のきく為政者ならいとも簡単に思いつく。まさに支那事変から対米戦争に至る長い戦いを支えたのが、この靖国神社の「死せば英霊」というレトリックだった。

もちろん、その時代に生きていたら、果たして私もこんな風に批判的な目で靖国という徴兵にうってつけのメカニズムを正確にとらえることができたかは疑問である。だが幸いなるかな、戦後という時代に生まれ、祖国がかつて正義なき戦いを強いられた歴史を客観的に見られる距離を得た者として、靖国神社が兵器転用が可能な核施設並みに危うい存在であることを理解することができた。

神となって帰る靖国が十全に機能したあかつきには、死を恐れない戦士をいくらでも動員することができるのである。これほど強力な徴兵システムはそうそうあるものではない。そんな特殊な機能を持つ施設が首都のど真ん中にあるのだ。いつか再び、その力を利用しようとする者が現れないと誰が保証できるだろう。

『戦争を知らない人のための靖国問題』に次の一節がある。

国中がこのリズム(引用者注:「戦意発揚のプロパガンダ」のこと)にのって胸おどらせ、国民が国のために命を捨てれば、国家はその霊を神として靖国神社に祀るというのが、いわば当時の国家と国民との約束事であり、遺族は血縁者が靖国に祀られることによって一つの命の終焉を納得した。私の知るかぎり、この約束事は無効になったから承知するようにと、国家から国民に向かって正式に宣言されたとは、こんにちまで聞いていない。

だが、靖国への合祀は「国家と国民との約束事」ではなく、国家による強制であることは明白である。なぜなら国民はそれを拒否できない仕組みになっていたからだ。

さらに、「国家から国民に向かって正式に宣言され」ないと、自分の判断力ではそんな約束事などとうに反故になったということが理解できないらしい。まさに上意下達の精神構造である。日本が負け、GHQが日本政府以上の存在として乗り込んできたとき、同時に過去の大日本帝国政府との「約束事」など白紙撤回となり、証文は破り捨てられた。それが敗戦ということの一つの意味だ。

この本は全13部構成の内、4~10部までを戦犯の問題にあてている。だが、戦犯合祀問題は靖国がかかえる問題の一つに過ぎず、それをあたかも戦犯合祀問題こそが靖国問題の本質だと言うが如きは問題の矮小化、すり替えだろう。

戦争犠牲者の鎮魂・慰霊は今生きる国民一人ひとりが負うべき責任である。だが今、信仰、思想、信条などにかかわりなく、誰もが訪れることのできる慰霊の場がないのが事実である。戦死者の遺族など靖国を崇拝する人たちにすれば、「靖国があるじゃないか」と言うだろうが、信仰をもたない者にとって、靖国神社への参拝には少なからぬ抵抗を覚える。これが神道以外に信仰を持つ人ならなおさらだろう。その抵抗感を、この本は払拭するどころか却って強める結果をもたらした。

最後に、あの時代に生き、夫や息子を失った女性の中にも戦争の真の姿、国家の欺瞞を見抜き、「英霊」という修辞に惑わされなかった人がいたことを記しておく。

にほんのひのまる
なだてあがい
かえらぬ おらがむすこの
ちであがい

       木村つゑ

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