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2010年8月 1日 (日)

一度だけ訪れるべき場所

私が生まれたのは現在の中央区八丁堀二丁目27番地である。旧表示では二丁目7番地。「火保図」を見るとそこには「産業復興公団」という大きな建物のほかに、8戸の建築物があるだけで、あとはおそらく空き地だったのだろう。

いまでは都心の一等地だが、当時は「東京駅まで歩くしかない不便な場所だった」(母)ようだ。

271その旧八丁堀二丁目7番地の現在が左の写真である。角には、1階に新聞販売店が入った小さなオフィスビルが建っている。隣は車数台が入る程度の駐車場。さらにその隣はやや大きめのオフィスビルである(写真は南側の道路の反対側から撮った)。

火保図を手に周辺を少し歩いてみた。個人の住宅と思える建物は数えるほどしかない。再び最初の地点に戻り、位置を確認する。

どうやら私が生まれた家は、この駐車場の奥にあったようだ。そこで駐車場のそばまで行ってみた。

2台の車が止まっていた。その左の車がある辺りが家のあった場所だと思われる。幸い、扉のない駐車場だったので、中まで入って行ってみた。

272273ここが俺の生まれた場所なんだ。

それは不思議な感慨だった。敢えて言葉にしようとしても、どのような言葉を選んだらよいのかさえ思いつかない。とにかくそれまで一度も感じたことのない感覚だった。

人は誰もが初めて呼吸をした場所を持っている。だが誰にもその時の記憶はない。当然のことのように思っていたが、考えてみれば奇妙なことである。なぜ人間には生まれた瞬間の記憶が残らないのだろう。神経系統が成長しきっていないからだといった生理学的な理由などでは納得できないし、それでは解明したことにはならない謎である。

人が己の人生を生きるということは結果として1本の線を引くようなものである。その途中には、違った人生を送っていたかもしれない分岐点が多数あるが、それは過去のこと、可能性の話である。曲がりくねったり、折れたり、多少は後戻りしたりといった線を描く人もいるだろうが、結局人の来し方は1本の線としてとらえることができる。だがその線は出発点が曖昧で見えない線なのだ。

私が自分の出生地を確認しようと思い立ったのはほんの数年前のことである。若い頃はそんなことはまったく考えなかった。なので、母や叔母が存命中に尋ねることもしなかった。それがここ数年で無性に知りたくなった。

自分が生まれ落ちた場所に立って、はじめてその理由が分かった。

私も来年には還暦を迎える。どう言いつくろっても立派な年寄りであり、人生を1日にたとえるなら既に午後9時になんなんとする頃合いだ。如何に頑張ってもサッカーワールドカップはあと5、6回しか見られないだろう。

そう思った時―人生の終点を意識した時、その逆の位置に当たる始点を見たくなった。それが自分の出生地を確認することだった。その場に立った時は不思議な感覚としか感じられなかったが、今ははっきりと分かる。あの場所を確認した瞬間に、私は自分の始まりを確認し、これまでの人生が1本の線として認識された。

できれば自分が生まれた場所である、きれいな公園にでも整備されていたらとも思ったが、こんな風に当時をしのぶ縁(よすが)の欠片さえない状況にあるというのも、自分が生きてきた時間の長さを再認識させてくれるものであり、あるがままに受け入れよう。

そこは一度は訪れなければならない場所だった。が、一度だけにするべき場所でもある。たぶん私があの場所を訪れることは二度とない。

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