« 東京に原発があった場合の20km/30km圏 | トップページ | 全国の原発の30km/50km/100km圏 »

2011年3月30日 (水)

人知の落度

まだ時期尚早かもしれないが、大きな被害を受けた市や町、村の復興は大いに気になるところだ。

先祖代々住みなれた土地、生まれ育った町、幼馴染・顔なじみが大勢いる場所というのは暮らしやすいものらしい(私個人はそういう経験がないので実感がない)。復興に当たってはそうした住民の思いというのはやはり無視できない要素となるだろう。

防災面から冷静に考えれば、陸前高田市や南三陸町のように半分以上が壊滅的被害を受けた土地に、以前と同様の居住区を作るというのは論外ということになるに違いない。

それでもどうしても元の場所に住みたいという住民が多数を占めるなら…。町は十重二十重の防潮堤で、要塞のように守ることになるのだろう。防潮堤の高さは20メートルで、町からは水平線すら見ることができなくなるに違いない。そうした環境には、今は想定できない別の問題が忍び込んでくるような気がするのは取り越し苦労だろうか。

視点を変えてみよう。

地球という惑星の歴史からすれば、人類などはほんのつい最近現れた種のひとつにすぎない。その人類が登場するはるか以前から、地球は今回のような「天変地異」を数えきれないほど繰り返してきた。これまでに起こった事象の中では、今度の巨大地震も小規模なものに違いない。

しかし、人間にとっては未曽有の悲劇をもたらす結果となった。

この落差だ ― 人間にとっての一大悲劇も、地球46億年の日常においてはほんの小さな地殻変動にすぎない。しかもそれはある意味シンプルな物理法則に従って起こったものである。落度は自然の力を読み誤った人間の側にある。もちろん、それは亡くなった方たちや、被災した人たちの落度というのではない。敢えて言うなら、人知の落度だろう。

はたして復興にかかわる上記の問題に「正解」があるものなのかは分からないが、仮にあるとすればそれはこの落差を認識し、人知の落度を認めるところから始まるような気がする。

一人でも多くの人が納得し、かつ安全に暮らせる形の復興になってほしいものである。

|

« 東京に原発があった場合の20km/30km圏 | トップページ | 全国の原発の30km/50km/100km圏 »

その他」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/220529/51259206

この記事へのトラックバック一覧です: 人知の落度:

« 東京に原発があった場合の20km/30km圏 | トップページ | 全国の原発の30km/50km/100km圏 »