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2011年4月11日 (月)

地震から1か月

東北地方太平洋沖大地震(東日本大震災)が発生してから1か月が経過した。今朝の新聞は震災後初めて地震関連ではない記事が一面トップに掲載された。

もちろんその内容は昨日の統一地方選挙の結果であり、与党民主党の敗北を報じるものだった。

未曽有の大惨事に際して、政府も与党も腰のふらつきが目につき、その点を有権者は見逃さなかったということだろう。こういう時にこそ強いリーダーシップが求められるのだが、今の日本に頼るに足るリーダーは払底しているかの如きである。日本は資源に乏しい国だが、リーダーたる人材もまた足りないのだろうか。たっぷりあるのは地震と利己的な能吏だけというのがこの国の現実なのだろうか。

地震後はどうにもネガティブにしか世界を見ることができなくなったような気がして、それがまた悲観を増幅する。将来に対する展望が負のスパイラルに陥ったかのようだ。それもある意味避けようがないことなのかもしれない。なにしろ、今問題となっている福島第一原子力発電所の1号機~4号機の廃炉が完了するのは、私の娘が還暦を迎える頃になりそうだというのだから。

世の中に完璧な安全はあり得ない。今回の地震は否応なしに多くの教訓を私たちの前に提示したが、そのうちの一つがこの安全にまつわる認識の変化だろう。もう誰も原子力発電所が完全なもの、安全なものなどというお題目を信じることはない。もっとも私自身は原発が安全だなどとは露ほども考えなかったが、いざという時の備えぐらいはもう少しましなものだろう程度には期待していた。その期待が(つまりは私が)如何に大きな無知に根差していたのかが今度の一件で証明されたわけである。

政府や企業、官僚(少々古い表現だが「エスタブリッシュメント」)に対する不信の増幅―これがもう一つの「地震の教訓」だろう。無論、体制に対する批判や反対というのは社会の中に根強くあるものだが、日本人の多くは心のどこかで、政府が或いは名だたる大企業がやることだから無茶苦茶なことではあるまい、と判断を預けていたのではないだろうか。だが政府といえど(いや政府だからこそ)、大企業といえど(いや大企業だからこそ)、疑ってみる必要があると多くの人間が気付いた。そこからどのような変化が生じてくるかはまだ分からないが、その影響は深く、永続的なものになるだろう。

ひとつ確かなこと―これからは誰もがリスクを負担することを求められる。我々は皆、その覚悟を固めなければならない。ただし、その覚悟に付け込まれることのないよう、エスタブリッシュメントの動きには耳をそばだて、目を見開き、胡散臭さをかぎ取る努力を怠らずにいなければならない。

考えてみれば厄介なことになってきたものである。

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コメント

おっしゃるとおり、負の思考に陥っています。

津波と地震だけだったら、被災した地域も日本もきっと立ち直るでしょう。原発そのものも、もちろんまだまだ心配な状況は続きますが、なんとか終息に向かうかもしれません。でも、今回の件ではっきりしてしまったのは、Jackさんの言う、この国のエスタブリッシュメントがいかに脆く、また醜いものかという現実です。そして、そんなエスタブリッシュメントの存在を許してきた日本人自身(自分も含めた)の不甲斐なさです。

日本がこのまま沈んでいくのか二流国としてでも復興するのかは、わかりませんが、「日本人」に関する希望は、私のなかで大きく揺らいでいます。

投稿: baldhatter | 2011年4月12日 (火) 08時42分

今福島で起こっていることは、可能性としては東日本大震災以上に大きく
長い影響を及ぼすことがあり得ます。
現場の人たちは懸命に努力されているようですが、どうにも指導層に性根
のすわった人物というのが不足しているようです。
昔、「ベンチがアホやから野球ができん」と言ってプロ野球をやめた選手が
いましたが、指導部が無能だとその影響は甚大になります。もう福島は
東電の手から取り上げた方がいいのかもしれません。

投稿: Jack | 2011年4月14日 (木) 21時33分

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