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2011年5月 3日 (火)

ビンラディンの“殺害”に関連して

(2011年)5月1日、アメリカは2001年9月11日に起きた同時多発テロの首謀者であるとして10年近くにわたり追い続けてきた、イスラム過激派のリーダー、オサマ・ビンラディンをパキスタン国内で殺害した。

多くの人が指摘するように、またオバマ大統領自身が認めているように、オサマ・ビンラディンを排除したことで「テロとの戦い」が終結するはずもなく、或いは却ってイスラム圏におけるアメリカ敵視が先鋭化することもあり得る。単に大国のメンツを保たんがための殺害作戦だったという観はぬぐえない。

ところで今は、日本語で「殺害」と呼ばれる、こうした国家による殺人の表現について考えてみたい。

オサマ・ビンラディン殺害成功の報を受け、オバマ大統領は声明を発表した(YouTubeの映像)。その中で大統領は「オサマ・ビンラディン殺害」を「kill」という単語で表現した。「殺す」という意味で最も普通の、含意がほとんどない言葉である。

アメリカ合衆国大統領という、今回の作戦における最高責任者であり、即ち当事者である人物がはたしてどんな言葉でこの件を表現するかについては大いに興味をそそられた。が、そう考えた時に予想した通り、ある意味拍子抜けするほどありふれた言葉が使われたことになる。時間にして9分余り、語数で1350ワード余りのスピーチで、「kill」という単語はオサマ・ビンラディンに関連して3回使われた。

ではこれがもし日本だったら、はたして内閣総理大臣は当事者としてどんな言葉を使っただろうか。おそらく「殺害」は使わないだろう。「害」の文字が「加害者」などの「害」のようで、犯罪めいた響きがあり、行為の正当性やイメージを損なうおそれがある。むろん「殺人」や「殺す」といった直截な語も避けるだろう。

可能性としては「誅伐」あたりが妥当なところだろうか。だが英語の「kill」という、日常的にも使われるきわめて身近な語に比べると、この「誅伐」は些か時代がかっていて、「現実感」に欠ける。

さらに、「……the United States has conducted an operation that killed Osama bin Laden, ……」という、「死に至らしめたという事実」を何の気負いもなく言い放つ英語の強かさに比べると、その時代がかったところがややもすると「言い訳」めいて響く。その意味では、「天誅」などは言い訳の最たるものだろう。いや、これはもう責任転嫁といってよい。

そう考えると、英語の「kill」にはある種の潔さがある。それを自ら口にした合衆国大統領は、事の是非は措くとして、彼の国の国民には非常に頼もしく映っただろうと想像できる。

だが、最高責任者が「人を殺した」と発表して、それを少なからぬ国民が歓迎し、歓声を上げる国に恐怖を覚えたのも事実だ。それは己の国の同胞を殺した「敵」を倒すことは即ち「正義」であるという短絡的というか、ある意味うらやましいほど迷いのない正義感を持つ人々に対する恐れである。

翻ってこの国を見た場合、それほどに「強烈なリーダーシップ」、「一国を率いる者として揺るぎない責任感」或いは「不抜の信念」を持つリーダーはいるだろうか。実はこれまではそんな強いリーダーはいない方がいいと信じてきた。国は強いリーダーなしで成り立つのがよいと考えてきた。徒に強烈な個性を持った個人が、頼もしいというだけでリーダーとなり妙な方向に国を引っ張って行くような事態になるよりは、頼りなくとも、迷いつつも、国を堅実に経営してくれる小粒な政治家の方がよいと思っていた。

しかし、今般の大災害に際しての政府の狼狽ぶり、20年に及ぶ日本経済の低迷、国家としての意志が見えない外交政策、さらには今後10年、20年のこの国の在り方にかかわるビジョンの欠如など、「見えないこと」に対する不安が顕在化している時、先行きを指し示すことができるリーダーを待望する声は徐々に大きくなっていて、自分がその声に同調しつつあるのが怖い。

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コメント

<ある意味うらやましいほど迷いのない正義感を持つ人々に対する恐れである。>
全く同感です。と同時にあの夜U.S.Aと叫びながら喜んでいたのは若者ばかりということにも気になりました。まるで「アルカイダ」という名前のゲームソフトでオサマ・ビンラディンをやっつけたかのように・・・私には写りました。

アメリカはやはり「世界の警察」と自負しているのですね。「悪」をはっきりと区分して、それを消滅させること(killを含めて)が正義だと信じていることには、いつもながら感服してしまいます。
捕獲し国際裁判にかけることは「不可能」と判断したとか、又死亡したオサマ・ビンラディンの写真もあるが公表しないとか、聞きました。アメリカはやはり殺すしかないと判断したのでしょう。

日本の内閣総理大臣はどのような言葉を選ぶだろうかとの考察、面白い考察でした。多分日本は「殺せない」でしょう。「銃撃戦になり死亡」、つまり正当防衛」と持っていくのでは・・・「殺す」事が正義と言う考えは日本のカルチャーにはないような気がします。

投稿: billabong | 2011年5月 4日 (水) 16時22分

>まるで「アルカイダ」という名前のゲームソフトでオサマ・ビンラディンをやっつけたかのように

なるほど鋭い視点ですね。ゲームがシミュレーションの役割をはたして、少なくとも他人が
行う「殺す」という行為に感覚がマヒしているのかもしれません。

写真の件は、最終的にオバマ大統領の判断で非公開が決定しました(先ほどのニュースで
そう報道されていました)。公開することで怨嗟の感情を生み出し、報復を呼び起こすことを
懸念しての措置のようです。

投稿: Jack | 2011年5月 5日 (木) 12時19分

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