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2011年5月 7日 (土)

悪口コメント

私のブログはコメントが少ないのが特徴的だ、と自分では思っている。理由はよく分からないが、たぶん俗に言う「からみにくいキャラ」と思われているのではないだろうか。まあ、そういう判断というか、評価はご覧になる方それぞれにお任せするしかないわけで、こちらとしては自分のスタイルでやって行くしかない。

ところでコメントは多くないのだが、それでも悪口コメントを頂戴することはある。なにしろ、ブログを始めて最初にいただいたコメントが私の間違いを指摘すると同時に、「お前にブログを書く資格はない」的な内容だった。

以前にも書いたが、そうした悪口コメントに対する私の基本的な姿勢は、悪口コメントは私信であり、私が目を通した時点で発信者の意図はこちらに届きその役目は果たしたわけで、それをわざわざ公開する必要はないというものである。なので非公開にしている。

ところが今回、少々興味深い悪口コメントをいただいた。『残念なコンサート:フジ子・ヘミング』のコメント欄に公開してあるので興味のある方はお読みいただきたいが、要は私が書いたことが気に入らんという一言で片付く内容である。指摘している一々を取り上げて反論する気にもなれない文である。

ただ冒頭の「感性のない人ですね」の部分については、これに「クラシック音楽に関する」という条件が付帯されるのであれば否定はできない。なにしろ自分自身常々そう感じているからであり、そのことは上述の『残念なコンサート…』でも、またこちらのエッセイでも白状している。

それ以外の指摘はまったく話にならない。で、時間と興味のある方はこちらのブログに寄せられた「反論コメント」と比較してみるのも一興だろう。どこか似てないだろうか。そう、自家撞着しているのだ。

実はこの『残念なコンサート…』は書いてから既に5か月以上が経過したエントリーなのだけれど、いまだに多くのアクセスがある。それはきっとフジ子・ヘミングの人気の根強さの表れでもあるのだろう。が、どうやらファンの中に、自分がフジ子・ヘミングを好きだということに自信のない人が少なからずいるのではないかと最近思うようになってきた。

自信を持てないことだから、それを批判されると過剰に反応するのではないか。

私はジャズが好きだし、日本の歌も嫌いではない。演歌も描かれている世界が受け容れにくかったり、大半のメロディが陳腐に感じられてしまうが、それでも好きな曲はある。そうした自分が好きな楽曲については、好きだということに関して「自信」を持っている。

「ウェス・モンゴメリーはヘタクソだ」と言われても、特段に腹を立てることはない(事実、そう評価するジャズ評論家はいた)。ヘタクソでも自分が聞いて心地よく、或いは鳥肌が立つほどに感動できるのならそれでいいではないか。ヘタクソを好きなことは別に恥ずべきことではない。

また同じコンサートを聞きに行っても、涙が出るほど喜ぶ人がいれば、眠たくなるほど退屈だったと言う人もいるわけで、その喜んだ人が退屈だと言った人を非難するのは、魚好きが魚嫌いを罵るようなものでまったく意味がない。

それと最近、名無しでコメントを送ってくる人が少なからずいる。このブログでは名前とメールアドレスの入力は任意にしているが、他人のブログにコメントするのに名前を名乗るのは最低限のマナーだろう。この傾向が続くようなら、名前とメールアドレスの入力を必須にすることも検討しなければならなくなる(ココログでは、この2つはセットで任意か必須かを設定する仕様になっている)。できればそんな措置は講じたくないので、少なくとも名前だけは入力していただきたい(そして変えないでいただきたい)。

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コメント

Jackさん、こんにちは

> 「からみにくいキャラ」

違うと思います。コメントを寄せない理由は人ぞれぞれだと思いますが、たくさんのブログやツィートを読んでいる人は、忙しくて一つ一つに書いている暇がないのでしょう。また、コメントは誉めたり同調したりするより、批判のほうが書きやすいのかもしれません。

音楽の批評というか、芸術関係の批評、好みは人によって違いますし、ブログは個人のものですから、ご自分の意見を書いて何が悪いのでしょうか。
今日のJackさんのエントリーを読みながら、池田理代子作「オルフェスの窓」の1コマを思い出しました。デビュー前のピアニストが自分と同じピアノを弾く先輩ピアニストを見つけますが、師匠をはじめ批評家・音楽家がそのピアニストを認めず、自分の感性に不安を感じている場面で、本人に会いに行きます。
そしてその先輩ピアニストは、(引用)「そりゃ自分の評判については少しは聞いていますよ だからといって聴衆の耳にこびて 身を屈することもないでしょう」(引用終わり)と言って後輩を励まします。30年以上前に発表されたこの漫画には今でも感動を覚えます(ちなみにセリフには句読点が一切ありません)。
 辛口のコメントはショックですが、フジコ・ヘミングさんもJackさんもどちらも正しいのです。感性や感覚が違うだけだと思います。

投稿: pompon | 2011年5月 9日 (月) 02時30分

pomponさん、こんにちは

いつもコメントありがとうございます。仰る通り、芸術(この場合は音楽に限定)というのは
創る側も鑑賞する側も個々の感性というフィルターを通してでしか、創作・鑑賞を為し得ない。
あのコメントの人もそう言っておきながら、「お前(私のこと)は感性がない」といきなり切り捨
てる―これが「悪口」といった理由の最大のものです。

もちろん、演奏のプロである以上はあるレベルの技量は絶対必要でしょう。私はクラシック(そ
してピアノ)についてそうしたことを述べる知識も経験もありません(ジャズ&ギターについてなら
ある程度は判断ができますが)。なので、フジ子・ヘミングの技量については私は何も言ってい
ません。ただ自分は感動できなかったと述べたのみ。

コメントの人の論を少々強引に敷衍すると、「フジ子・ヘミングの演奏を聴いたものはなべて感動
しなければならない」ってことになってしまいます。そりゃヘンでしょ。

これも最近気付いたのですが、フジ子・ヘミングのファンの人たちというのは彼女の音楽
のみならず、その人生(かなり数奇なものであったようです)をも含めた総体としての「フジ子・
ヘミング」が好きなのではないでしょうか。言い換えるなら、「フジ子・ヘミング」というブランドに
対する信仰(brand loyalty)です。

その論点からの「フジ子・ヘミング礼賛」論というのは見たことがありませんが、そういう正面突
破的擁護論があってもいいのになと思う次第です。

投稿: Jack | 2011年5月 9日 (月) 21時46分

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