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2012年4月14日 (土)

「フジ子・ヘミング」とアクセス急増

不思議なことが起こった。今日の午前0時から2時にかけて、普段の10倍以上のペースでこのブログへのアクセスがあった。それも特定の記事に。

もう2年以上前、「残念なコンサート:フジ子・ヘミング」というタイトルで何十年ぶりかに行ったクラシックコンサートのことを書いた。この記事は未だにアクセスがあり、なんとGoogleで「フジ子」と入れて検索すると、Wikipediaの記事に続いて本ブログの記事が表示される。

内容は、フジ子・へミングのことについて一切の予備知識なしにリサイタルを観た感想を述べたのだけど、どうやらフジ子・へミングのファンはそれがお気に召さないようで、時々「悪口コメント」が送られてくる。今回もアクセスの増加と並行してコメントが送られてきたが、どれもが理性を欠いた感情的内容で、中には「死ねー」レベルの品性のかけらもないものもあった。もうそういったコメントを整理するのも億劫なので、とりあえずコメントには、名前とメールアドレスの入力を必須条件とした(ココログの仕様で、どちらか一方だけ必須とすることができない)。これで「アホ」、「ボケ」レベルのコメントはだいぶ防げるだろうと思う。

で、アクセスが急増した理由だが、まさに同じ時刻に(14日午前0時から)NHKが『フジコ~あるピアニストの軌跡~』というブームの火付け役となった番組を再放送していた。だが私は今日(こんにち)の「フジ子・へミング」の原点ともなったその番組を観たことがない。気付いた時は既に放送時間を過ぎていた。

そこでYouTubeで『フジコ~あるピアニストの軌跡~』を探してみたところ、それはあった。5つに分割されているが全編がそのまま収録されているようだ。番組が放送されたのは1999年2月というから13年前、フジ子66歳の時のドキュメンタリーである。

「ドラマチック」―それがドキュメンタリを観ての感想だ。なるほど、あれだけドラマチックな人生を送った人物で、ピアニストであれば、人気が出るのも宜なるかなである。またフジ子の風貌や生き方(信念)、それにあの家という舞台装置の存在も与かって大きかっただろう。どんなに古く、ガタが来ていても、洋風の内装の一軒家が持つ効果は大きい。あれが六畳一間のアパートであったらピアノが弾けず、技量の維持も難しいし、だいいちテレビ・ドキュメンタリーとしては成立しなかっただろう。

とかく話題になることの多いフジ子の演奏だが、13年前の映像で弾いていたショパンの『夜想曲』はゆったりとしたテンポで音がやさしい。はたしてそれがクラシック音楽として「正しい」のかどうかは分からないが心地よいのは確かだ。或いは「本場」の耳を持って聞けば「邪道」なのかもしれない。が、音楽は「規範」で聴くものではない。好き嫌いは別にして、ああいう音楽があってもいいと思う。そういうところが「本格的クラシックファン」には許せないのだろうが。

これまでにいくつものコメントをもらい、そこから感じたことは、フジ子・へミングのファンというのは純粋な音楽ファンとは違うという印象である。ネットにも「ファン・クラブ」のサイトがあるが、その内容は音楽家・ピアニストというよりも、人間「イングリッド・フジコ・フォン・ゲオルギー=ヘミング」のファンなのではないかと思わせるところがある。もっと有体に云えばそれは信仰に近いものに見える。それはそれで、ファンではない者がとやかく言うことではない。わが国では信仰・信条の自由は憲法で保証されている基本的権利である。

30数年間外国に在って辛酸を嘗め、努力しても報われず、音楽家としての評価も得られず、常に異邦人であるという意識を抱き続け、ついにはこの世界に自分の国はないとまで思い込んだ女性がようやく自分を認めてくれる人々に出会うことができたのだ。その「幸運」をあげつらうのは嫉妬にも似てみっともないように思える。

ただ私は「少し間違ってもかまわない」(番組内での本人の言葉)という認識の「プロ演奏家」はやはり認められない。人間はパーフェクトではないし、結果として間違うことはある。努力しても克服できないこともある。でもそれは「間違ってもかまわない」という開き直りとは違う。「プロ」である以上、決してたどり着けないかもしれない高みであっても常に目指すべきだ。

さて、この話題に絡む記事は今回が3つめとなるが、実を言えば個人的にはあまりインタレストを覚える事柄ではない。今回もアクセスが異常に増えたことがきっかけで取り上げたのであって、結局その原因の方は不明のままだ。まさかテレビで番組を観ていた人たちが同時にここへとアクセスしたということはないだろう。ではなぜあの2時間だけアクセスが急増したのか…。個人的にはこちらの方が大いに気になるが、今の段階でそれを究明する方法が思いつかない。その方法に見通しがついたら、或いはもう一度取り上げるかもしれないが、とりあえず、「フジ子・へミング」という現象を取り上げるのはこれを最後とする。

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